令和3年度 第2回理事会のご案内
 第2回理事会のご案内をさせていただきます。
昨年同様、本年度の決算報告ならびに来年度の予算案に関する審議は来年2月上旬に開催する理事会へ上程させていただくこととなります。
 本年末で現執行部が就任以来 満2年を迎えることになり 会則第24条「役員の任期は2年間」の規定により本年度は役員改選期にあたり、来年度に向けて新理事長を選出することになります。
 今回の理事会は、会則第20条「理事長の選出は前年度の常任理事会の推薦を受け、理事会の決議を経て総会で決定する」と規定されており本会則に則り、次期理事長の選出をおこないます
 以下に議題、開催日時等の詳細も含めてご案内申し上げます。貴支部におかれては、事前討議を可能な限り実施いただき、貴支部理事が支部代表として万障お繰り合わせの上出席くださいますようお願い申し上げます。
開催日時:令和3年12月2日(木)18:30〜20:00(閉会予定)
開催場所:川口リリア(JR川口駅前)11階 大会議室
議  題;第1号議案:役員改選の件
 会場入口受付時の出席簿記入・検温・手指消毒にご協力ください。
 また会場内でのマスク着用、1席離れての着席をお願いします。
 
全放協令和2年度(第49期)事業報告
 zenhoukyo49.pdf へのリンク
 
 令和4年(第51期)放流協賛金(放流バッジ)のお願い
 今年度は、10月10日(日)の北海道地区を皮切りに、12月19日(日)の朝日池まで、全放協分9,761kg、全放協委託分41,926kg、日研分3,567kg、日研委託分8,192kgの合計63,446kgを全国の湖沼および管理釣り場に放流します。
 なお、放流バッジ郵送時に協賛金の振込口座を指定した用紙を同封しますので、放流バッジが手元に届いてからの振込をお願いします。

放流協賛金(放流バッジ)1個:1,500円

申込先:全日本へら鮒放流協議会 〒135-0004 東京都江東区森下1−18−7
                              日修ビル2F
TEL:03-3846-5077 FAX:03-3846-5113
E-mail:zimukyoku@nikken-web.net
必要記載事項:氏名、郵便番号、住所、電話番号(携帯)、必要個数
 
令和3年度 全放協・日研放流予定表
NO 放流月日 放流場所 全放協 全放委託 小計(kg) 日 研 日研委託 小計(kg) 合計(kg)
10/10(日) 北海道地区 164 707 871 83 83 954
10/17(日) 精進湖 500 500 545 545 1,045
10/17(日) 間瀬湖 300 1,000
円良田湖 200 1,500 1,500
10/24(日) 青森地区 125 745 135
472 1,342 135 1,477
10/24(日) 山形地区 133 1,504 124
148 1,785 124 1,909
10/28(木) 豊英湖 300 1,000
三島湖 150 1,450 155 155 1,605
10/31(日) 新潟地区 260 2,198 2,458 380 380 2,838
10/31(日) 神流湖 700 1,000 1,700 1,700
11/3(祝) 長野地区A
(松原湖)
松原湖 112 291 88
590
吉巾池 236
白樺湖 578 1,807 88 1,895
10 11/3(祝) 長野地区B
(諏訪IC)
鏡湖 71
129
みどり湖 10 1,263 30
美鈴湖 30 92 30
282 1,877 60 1,937
11 11/3(祝) 長野地区C
(安曇野IC)
中綱湖 30 477
青木湖 188
柳久保 138 40超 45
217
浜津ケ池 71 118
針湖 102 188 1,574 1,574
12 11/3(祝) 岩手地区   172 542 84
350 1,064 84 1,148
13 11/5(金) 精進湖 1,610 1,610 1,610
14 11/7(日) 福島地区 85 716 128
300
150
330 1,581 128 1,709
15 11/7(日) 水沼ダム 300 350
神岡の池 320 970 970
16 11/7(日) 中京地区 208 2,318 181
2,000 4,526 181 4,707
17 11/11(木) 小貝川吉野A 3,500 3,500 3,500
18 11/13(土) 横利根川 800
小見川 200
道の口沼 200
宮島親水公園 150
袋の溜池 550 161 961 1,511
19 11/13(土) 横利根川 700
新利根川 200 400
上の島新川 200 1,100 400 1,500
20 11/14(日) 千代田湖 300 631
999 1,930 1,930
21 11/14(日) 秋田地区 160 1,219 399
1,690 3,069 399 3,468
22 11/18(木) 北陸地区 245 1,038 1,283 250 250 1,533
23 11/21(日) 西湖 1,000 1,000 1,000
24 11/21(日) 東海地区 253 2,487 2,740 182 182 2,922
25 11/22(月) 横利根川 1,146 1,146 466 466 1,612
26 11/26(金) 鎌北湖 2,500 2,500 2,500
27 11/28(日) 宮城地区 163 2,191 2,354 229 229 2,583
28 11/28(日) 砂沼 200 500
大郷戸ダム 300 1,000 1,000
29 11/7(日) 久喜菖蒲公園 1,000
明秋・釜虎 200 116
川里弁天 1,200 116 232 1,432
30 12/4(土) 三名湖 300 1,900 2,200 78 78 2,278
31 12/5(日) 印旛新川 200
中沼 200
川口ふな池 200
水元内溜 200
溜池公園 100
舎人公園 180
まこも池 100 1,000 180 1,180
32 12/9(木) 小貝川吉野B 2,780 2,780 2,780
33 12/12(日) 浮間公園 200
清水池公園 200 139
等々力FC 200
横浜山崎の池 200
多摩川 200 1,000 139 1,139
34 12/19(日) 朝日池 1,000 1,000 1,000
合  計 9,761 41,926 51,687 3,567 8,192 11,759 63,446
 
シリーズ「この人に聞く」第88回 戸面原ボートセンター 相沢 裕之 氏


戸面原ダムボートセンター
相原 裕之 氏




竹岡のヒカリモ




高宕山の看板




駐車場と桟橋を繋ぐリフト




石田島で大型バスとファイト中




石田島で大型バスを釣りあげる

   へら鮒釣りとバス釣りの共存。前回に続いて、三島湖、豊英湖と並ぶ房総半島の名釣り場、戸面原ダムの相沢裕之氏。此処でもへらとバスと、共に好調です。(聞き手:吉本 亜土、文中敬称略)
本誌 早速ですが、お生まれは?
相沢 昭和44年。正に地元、戸面原ダム(昭和53年竣工)のある富津市豊岡。今も直ぐ近くに住んでいます。
本誌 大阪万博の前の年ですね。初めての魚釣りは?
相沢 ダムが出来る前、小学生の頃、西川渕(ボートセンターから左手上流へ漕ぎ上がった右側)でハヤを釣ってました。ヤマベも釣れた。
本誌 そうか、当時は湊川が流れていたのですね。道具やエサは?
相沢 最初は爺さんに、近くに生えてる布袋竹で竿を作ってもらった。エサはミミズや川虫。
本誌 釣りキチ三平みたいです。現在のダムを見ていると川虫のイメージは湧きませんが…。
相沢 今も上流の川へ行けば沢山います。戸面原は結構奥が深い。
本誌 上流はどうなっているのですか?
相沢 実は豊英湖と背中合わせで、直線距離なら意外と近い。湊川は豊英湖の近くから流れ出し、戸面原ダムを経て富津市の上総湊へと注ぐ。上流には今もハヤやヤマベがいます。降りていく道はあるから、川釣りは可能でしょう。
本誌 アユは?
相沢 現在はいないけど、ダムが出来る前は東京湾から沢山上がってきました。湊川を遡上するアユ、放流されたアユ。爺さんは「竹で水面を叩くとアユが岸に飛び出す」と言っていた。ウナギもカニもいました。
本誌 そういえば、今もダムへ来る途中「モクズガニ」の看板を見ますね。ところで、上総湊は昔、天羽(あまは)と呼ばれていませんでしたか?
相沢 そうです。天羽町。今でも富津市の中に天羽地区として名が残っています。
本誌 私、小学生だった昭和30年代後半、東京湾口に近い館山で臨海学校があり…東京の竹芝桟橋から東海汽船の橘丸で向かう途中、船が天羽港に寄港したのです。海が透き通っていたのを覚えてる。
相沢 当時は綺麗だったでしょう。
本誌 磯も豊かでしたね。自然観察の日、色彩に富んだタイドプール(潮だまり)にゴンズイが2匹泳いでいたのも覚えています。そうそう、先日ダムでの釣りを早めに上がった後、その天羽地区で左折して館山方面へ少し走り、竹岡へ寄ってきました。
相沢 何かありますか?
本誌 国の天然記念物「竹岡の光藻(ヒカリモ)」。藻が光るんです!但し、本体が発光するわけじゃありません。4月から5月にかけて、単細胞の小さな藻が成熟して水面へ浮上する。すると、藻の中にあるレンズに似た部分が日光を反射し…水面が金粉を撒いたように輝く。小さな洞窟で光ることから、地元では「黄金井戸」と呼ばれています。
相沢 黄金井戸、知ってます。けど、行ったことはない。
本誌 大日如来や弁財天も祀られ、信仰の場でもあるようですね。横には国道127号線が走ってるし、正直半信半疑だったのですが、ホントに水面が光っていて驚いた。竹岡のヒカリモ、日本最初の発見地として昭和3年、天然記念物に指定されました。是非、行ってみてください。
相沢 来年行ってみます。亜土さん、釣りのついでにいろんな所へ寄るのですか?
本誌 そうです。往復の途上、重要文化財の寺社や天然記念物を見るのが好き。野釣り場の周囲は大概自然豊かで…戸面原ダムに現れるサルも、湊川の水源である高宕山(たかごやま)の天然記念物「高宕山のサル生息地(註:海抜315mの高宕山を中心に南北4キロ・東西2キロ、富津市富岡〜君津市平田一帯の房総丘陵に20〜100頭からなる群れが10数群棲息している。ニホンザルの群れとしては大きく、比較研究の対象としても学術的価値は高い…として昭和31年、国の天然記念物に指定された。一方、居心地が良いのか、千葉県のHPによれば高宕山と清澄山を中心に房総半島全体での棲息数は数千頭に及び、富津市・君津市ではサルの被害に悩まされている)」から来たものでしょう。ところで、相沢さんの其の後の釣りは?
相沢 昭和53年にダムが完成し、中学ではコイのぶっ込み、高校から社会人では向田(むかいだ。ボートセンターの上流、西川渕へ向かう途中の左側)のワンドへルアーを投げてブラックバスを釣ってました。
本誌 常に釣りと共にあったのですね。その後は?
相沢 海でクロダイ。上総湊でぼちぼち釣れます。堤防からのダンゴ釣りで、一本バリに付けたオキアミを寄せエサのダンゴで包んで打ち込む。
本誌 成績は?
相沢 最高は一日に30〜40pを20枚。
本誌 スゴイ!味は如何でした?
相沢 時期によって脂が乗っていて美味しい。やっぱり春先かな。
本誌 産卵前の乗っ込み。桜鯛と呼ばれるタイと一緒ですね。そして今は?
相沢 カワハギです。金谷や上総湊から出船して竹岡沖を釣る。横浜方面へ行くこともある。
本誌 エサは?
相沢 マルキユーの冷凍アサリ。
本誌 え!冷凍物で釣れちゃうのですか!私、スーパーで剥き身を買ったり、熱心な人は前の晩に殻から剥くと思ってた。
相沢 生のアサリと全く遜色なく釣れちゃう。冷凍で十分。自分で持参すれば、舟宿支給の冷凍アサリより鮮度も宜しい。マルキユーのアサリ、凄くいいです。
本誌 初めて知りました。さて、カワハギは難しい、だから面白いと聞きます。
相沢 そのとおり。口が小さいから食わせるのが難しい。エサの付け方次第で、エサだけ取られちゃう。
本誌 仕掛けは?
相沢 ハギバリの5号。カワハギには歯があるし、フグもいるからハリスは2号。
本誌 当然、フグも来ますよね。
相沢 フグとの闘いになることもあります。10〜40m海底の根を釣るため、掛かりも厳しい。
本誌 成績は?
相沢 最高で50匹、最大で35p。
本誌 スゴイ!
相沢 釣った魚は自分でさばいて、煮つけや肝和えの刺身で食べます。とても美味しい。但し、最近は釣れない。始めた時より釣れなくなった。獲りすぎかなあ。
本誌 厳しい排水規制で「東京湾が綺麗になりすぎたから」という説がありますね。生活排水が適宜流れ込まないと、魚のエサとなるプランクトンも湧かない。瀬戸内海や大阪湾でも同じ現象が起こっているそうです。
相沢 上総湊を見ていても確かに綺麗になった。しかし、綺麗じゃなかった時の方が釣れた。
本誌 自然の管理は容易じゃありません。誰もが「透き通った海こそ一番」と信じていたのですから。ところで、カワハギをやってるとウマズラハギも釣れますか?
相沢 「カワハギより美味しい」という人もいるウマズラ、今はあまり釣れません。此の辺りだと館山には少しいるみたいだけど。
本誌 ウマズラは珍しいのですか!驚きました。私、カワハギ釣りにとって、キス釣りのメゴチやトラギスと同じく「ああ、来ちゃった」の魚だと思ってた。他の釣りの話も楽しいですね。さて、戸面原ダムについて伺いたいと思います。此のダムは農業用水ですよね。
相沢 そうです。だから、夏場に田圃で使うと大減水する。もちろん漁業権はなく、千葉県や富津市と湖面利用を契約しています。
本誌 「貸ボート屋さん」としての扱いですね。
相沢 そうです。放流についても、ダム完成時には「万一毒が入った時に分かるため」と聞く義務放流があったけど、現在は「貸ボート屋が放流している」形。
本誌 そして、戸面原ダムの釣果は連日20〜30キロ超。好調を維持しています。最近の放流量は如何ですか?
相沢 去年5トン+5月22日の土曜日に1トン超を追加。計6.5トンほどになります。
本誌 昔は?
相沢 14年前にボート屋を継いだ当時は6〜7トン入れました。その後例会が減って、お客の数も減って…放流に回すお金がなく、3トンほどになっちゃった。
本誌 厳しい時代があったのですね。
相沢 引き継ぐと決めた時、周囲は止める人、応援する人、様々でした。
本誌 確かに勇気の要る決断だったと思います。
相沢 それまで近場で普通に働いていたのが、いきなり舟宿でしょ。今は此処で一緒に朝御飯を作ってくれる妻も、仕方なくついてきた。
本誌 始めた時の印象は?
相沢 こんなはずではなかった、エライコトになったと思った。それまで体力勝負のサラリーマンだったとはいえ、朝早く起き、お客の朝御飯を準備し、終了後はボートを洗う。身体が大変でした。
本誌 毎日ですものね。
相沢 直ぐ慣れたとはいえ、最初から「木曜定休」にしておいたのは正解。
本誌 そんな日々が順調に…
相沢 続きません。継いだ当初こそ、120杯のボートが全部出ることもあったけど、段々と下り坂。例会が減っていく。参加人数も減っていく。「若い人がいない」と感じていたけれど、年毎に姿を見せない人=亡くなる人が増えていく。
本誌 日研の大会や会議でも同じことを感じます。
相沢 高齢の人はバスでしか来られない。しかし、会員数減少でバス例会ができない。そのための解散も見てきました。
本誌 舟宿の経営者として、肌で感じますね。
相沢 継いで4年ほど経った頃、体力大変から経済大変へ変わった。予想より早かった。今から4年前がどん底でした。
本誌 日銭商売でお客が来ないのは辛い。
相沢 100杯ある舟がろくろく出ない。雨が降るとフリーの人は来ない。日曜日でも60杯が最高、平日はゼロも日さえあった。
本誌 お話を伺うだけで胸が痛みます。
相沢 そんな状況を救ってくれたのがブラックバス。3年前の平成30年10月、バス釣りにボートを貸すことを決断し、大きく変わりました。
本誌 解禁前も勝手にバス釣りしてたでしょ。
相沢 そうです。フローターやマイボートが来ていた。けれど、放っておくと押さえが効かない。どんどん増えちゃう。そのため「悪いけど、へらの人がいるから出て行ってね」と声を掛け、上がってもらいました。
本誌 そんな努力を重ねておられたのですか!
相沢 幸い、怖い思いをしたことはありません。
本誌 バスボートは何処から入っていたのですか?
相沢 中島ワンド(桟橋から右手へ漕いだ先)、トンネルワンド(桟橋から左手へ漕いだ奥)あるいは向田の辺りから入れていた。休みの木曜日にも船外機で回って追い出してました。
本誌 そんな排除の対象が「お客様」に変わった。
相沢 そうです。経済的危機を前に「此れしか道はない」と決意した。
本誌 結果は「吉」と出ましたか?
相沢 おかげさまで当たった。現在、へら鮒釣りのことを考え25艇に制限しているけれど、制限しなければもっと来ると思います。
本誌 25艇なのですね。
相沢 へら鮒釣りとの関係だけでなく、あまり舟数が増えると「スレて釣れなくなる」のです。なにしろ放流禁止の魚だから、大切にしないと続かない。
本誌 なるほど。其処まで考えておられるのですか。釣り人同士の関係から見れば「バサーは気持良い人が多い」「おしゃべりして楽しい」印象ですが…。
相沢 そう仰っていただけると嬉しい。
本誌 私、バサーが近づいてくると必ず声を掛けるし、迷惑と思ったことは一度もありません。ただ…
相沢 ただ…?
本誌 手漕ぎボートだけは気に掛かる。あれがキイコキイコ来ると、アタリが止まるような気がする。此処では手漕ぎも貸しているのですか?
相沢 そうです。ボート全長が12ft以上の場合、エレキを付けると小型船舶免許が必要で、その免許を持っていない人は手漕ぎボートで釣ることになる。
本誌 なるほど。
相沢 加えて、バスはエレキのモーター音に反応し「警戒して釣れなくなる」とも云われています。手漕ぎの場合、バスが安心するらしい。
本誌 驚きました。私たち「へらはオールのキイコキイコで釣れなくなる」と信じているのに…バスは逆!しかし、手漕ぎは両手が塞がってるでしょ。どうやって釣るのですか?
相沢 舟を止め、そこからキャストする。但し風に弱い。風の日は舟が流されるため、手漕ぎでは釣れません。
本誌 なるほど。いちいち立ち上がるのも大変そうですね。
相沢 ボートが11ft以下の場合、エレキ使用のための小型船舶免許は不要。但し、現在のところ、此処は12ftしか置かず、免許を持ってる人だけに舟を貸しています。
本誌 1ft(30p)の差で免許の要不要が決まるのですね。さて、そんなバサーのへら鮒釣りに対する意識は如何ですか?
相沢 此処に来るバサーは「へら鮒釣りの軒先を借りている」と理解し、気を遣ってます。加えて出舟前(へら鮒より10分遅れ)に必ず、私から「へらの人に近寄らない」「移動時には引き波を立てない」ようお願いしてる。おかげで、バサーとへら鮒がやり合った話は聞きません。たとえ、へらの人に怒られても「スミマセン」で去っていくでしょう。
本誌 良かったです。なにより、バスのおかげで舟宿の経営が成り立つ。へら鮒釣りを続けることが出来る。相沢さんの決断とバサーに感謝する他ありません。そんな状況の下、現在の売上は?
相沢 へらとバス、半分半分ですね。
本誌 もっとバスが多いと思ってた。
相沢 へら鮒の売上も決して少なくありません。放流を続けているからでしょう。「戸面原は釣れる」と評判になり、日曜例会が来てるし、フリーの個人客も来てるし、4年前のどん底から盛り返しました。
本誌 私は此処の朝御飯も好きです。なるべく舟宿で食事して売上に貢献したいし、コロナ禍が去って、再開されるのを楽しみにしています。但し、盛り返した分、忙しいのではありませんか?
相沢 いくら木曜定休とはいえ、サラリーマン時代と異なり、休みがなくなったのは大きい。旅行など行けない。好きじゃなきゃできません。
本誌 舟宿の仕事が大変なことはよく分かります。となると、舟代が安すぎるのでは?今、戸面原はバスもへらも3000円でしょ。私が日研に入った40年前、舟代は何処も1500〜2000円したと思う。キツイ労働+休みなしで一日3000円は、大人の遊びとして果たして適切な対価か…。
相沢 確かに「高い」とクレームする人はいません。安いという人はいるけど。
本誌 経済的にも報われるようになって欲しいと思います。ところで、バサーには例会とかあるのですか?
相沢 日曜日など「仲間で25艇貸し切り」の日もあります。終わってから表彰式やってる。
本誌 若いですか?
相沢 若い若い、自分より若い。
本誌 舟宿がバスとへら鮒を両方やることで、バサーがへら鮒に興味を持ってくれるといいですね。
相沢 おじさんがイレパクする姿を見て「今度やってみようかな」と言う人もいますよ。
本誌 嬉しいですね。但し、へら鮒は道具の敷居が高い。スキーもレンタルになった時代、初めての人のために竿や仕掛けは舟宿や管理池でレンタル、エサも舟宿や管理池が小分けして売ってくれれば…と思うことがあります。とはいえ、道具はバスも高いのでは?バサーと話すと「リールと竿の1セットで5万は超える」由。此れを何本も揃え、エレキや魚探の機器類もあるのでしょ。
相沢 そう、台車に乗せて運ぶほど。加えて、へら竿と違って落とせばそれまで。竿もリールもダムには沢山沈んでると思います。
本誌 ところで、バスは新規の放流が難しい。リリース禁止の所さえある。釣ったのを再放流するだけで…どうやってバスの資源を維持しているのですか?
相沢 此処は幸いリリース禁止ではありません。但し、バスとずっと遊べるよう、たとえエアポンプを付けても、容器に魚を入れて桟橋へ持ち帰ることは禁止。
本誌 初めて知りました。では、どうやって競技するのですか?
相沢 長寸ゲージにバスを載せて写真を撮るのです。最初に参加者全員で「其の日共通の写真」を撮ってから競技スタート。
本誌 なるほど、共通写真から後が「当日の釣果」になるのですね。
相沢 そうです。写真の結果を総合して順位が決まる。
本誌 やはり釣られれば、バスといえども傷むのですね。
相沢 3年前に解禁した時は爆釣。バサーにとって夢のような場所でした。3年経った今、先は楽観できません。自然繁殖はしている。但し、そのチビが何処まで大きくなるか。
本誌 幸い「バスを放せば小魚全滅」でもないことが理解されてきました。此処でもヤマベが釣れる。生態系の安定を感じる。バスとへらが平和共存し、バスの売上がへらの放流に回ることを願ってやみません。
相沢 バサーもへらの人から話しかけるのが嬉しいみたい。上手にコンタクトを取ってください。
本誌 そう、こちらもおしゃべりしたいです。ところで、此れからのバスのポイントは?
相沢 本湖ですね。落合(桟橋の対岸)、石田島(センター上流のオダ。へらの例会で優勝者のよく出る名ポイント)、前島(石田島手前)、光生園下(本湖から上流水路への接続部)。やはり深場が釣れる。
本誌 へらのポイントと一緒だ!
相沢 だからこそ、仲良くしてください。同じ釣り人同士、トラブルなしに楽しくやっていきましょう。
 
シリーズ「この人に聞く」第87回 三島湖舟宿組合組合長 石井 時保 氏


石井 時保 氏




石井の桟橋に並ぶバスボート




桟橋へ降りる階段とリフト




階段の上に並んだ道具類






1個25キロのバッテリーと台車




出舟準備のバサー、背景は奥米橋

   今回のテーマは「へら鮒釣りとバス釣りの共存」。房総半島の名釣り場、三島湖でもバスボートを見かける機会が増えました。増えたどころか…バスボートの方が多いんじゃないかとさえ思える。此の4月から三島湖舟宿組合の組合長に就任された、舟宿「石井」の石井時保(ときお)さんにお話を伺います。(聞き手:吉本 亜土、文中敬称略)

1 石井 時保 氏と舟宿「石井」
本誌 早速ですが、お生まれは?
石井 昭和36年、三島湖で生まれ育ちました。
本誌 では、小学校は三島小学校。
石井 そうです。今は清和小学校に統合されて廃校になっちゃったけど、私の頃は全校合わせて150人程いた。
本誌 日研の夏季大会、表彰式会場として体育館を使わせていただきました。ところで、三島湖(昭和30年、小糸川を堰き止めて三島ダム竣工)の舟宿は「石井が一番古い」と伺っています。
石井 そうです。私の父、石井公一が57年ほど昔、自宅に近い三島湖上流の夫婦橋で開業しました。
本誌 東京オリムピック(昭和39年)の頃ですね。
石井 そうです。但し貸舟はなかった。
本誌 舟を貸さない舟宿?
石井 海の漁師から中古のポンポン蒸気を買い、5人10人と乗せ、陸路では行けない釣り場へ送迎していました。
本誌 湖面を行くポンポン船。長閑な景色が目に浮かびます。
石井 とはいえ、夫婦橋の下まで急峻な山道を降りていくのが大変だったそうです。やがて、佐原から木製の和船を5杯ほど買い、岸辺に貸舟として並べました。
本誌 その後は?
石井 三島湖は農業用水のダムでしょ。そのため、夏場に田圃へ給水すると大減水となり、上流に位置する夫婦橋は不便でたまらない。大阪万博のあった昭和45年頃、現在の奥米橋の際へ移動しました。
本誌 開店そして移動。先見の明と決断力に富むお父様だったのですね。
石井 但し、見ても分かるとおり、此処はポイント的に不利。父は何時も「他の舟宿は深場の下流や変化に富んだ上流に釣り場が広がっている。一方石井は見える範囲しかポイントがない」と言っていた。このポイントの弱さは、後々に至るまで石井の悩みとなります。
本誌 ところで、石井さんにとって最初の魚釣りは?
石井 小学生の頃、ご飯粒をエサに店の前でヤマベ釣り。次はサシでのワカサギ釣り。当時は冬になると、店の前に結構厚い氷が張ったんです。氷の上に乗った記憶さえある。
本誌 地球温暖化の今では考えられません。他の魚は?
石井 ダムが出来た時、フナやコイの他にウナギも放したんだね。ハリにザリガニつけて一晩ぶら下げると掛かる。子どもの頃、ちょいちょい釣っては食べてました。
本誌 三島湖でウナギ!
石井 けれど、ダム湖だから海へ産卵に行けない。戻ってもこられない。釣ってしまえばオシマイで、その内いなくなっちゃった。
本誌 小学生だった昭和40年代、へら鮒釣りの様子は如何でした?
石井 日曜が来る度、小学生の私が店を手伝ってました。
本誌 三島湖がブームとなっていく時代ですね。

2 最盛期の繁盛
石井 そうです。当時、三島湖には舟宿が5軒。舟は合わせて800杯ほどあったけど、日曜例会は予約を取るのが大変。150杯の石井にも観光バスが3台4台とやってきた。雨でも台風でも賑わいました。
本誌 繁盛ぶりが目に浮かびます。
石井 母が朝御飯と弁当の支度を一人でやっていた。奥米橋の舟宿の2階、夫婦橋近くの自宅2階に釣り客を泊めていて、20人ほどが雑魚寝。布団干しも浴衣の洗濯も母の仕事で…大変だった姿を見ています。舟の掃除も父母と私の3人でやった。父と一緒に曳船にも乗った。そうそう、1時半にはお客が来たの。店の人間が起きる前、懐中電灯で桟橋を照らし、先端の舟に荷物を置いていく。
本誌 今では考えられない光景です。
石井 夜中に起こされ、朝御飯を運んだりするのを手伝いました。店の中は煙草の煙でもくもく。お酒飲んで盛り上がるどころか、釣りにならないくらい飲んじゃう人もいた。
本誌 私が三島湖へ初めて行ったのは昭和55年ですが、当時も朝からお酒の人は珍しくなかった。出舟の時など殺気立っていて怖かった。「此の世界でやっていけるのか」と思いました。
石井 他に趣味のない、へら鮒釣り一本の人が多かったからかなあ。
本誌 そんな状態で、お母さまの身体は大丈夫だったのですか?
石井 いや、日曜日だけが極端な混雑だったの。週休2日制が普及していなかった当時、土曜を含めて平日はガラガラ。だから出来たんです。
本誌 昭和50年代後半でも、土曜日は確かに空いてました。
石井 平日来るようになったのは、週休2日に加えて年金生活が増えた最近のことです。
本誌 加えて当時は舟数が多かったこともあり、釣れなかった。日曜日などポイントを外すとオデコの危険さえあった。そのため、真っ先に飛び出せる、桟橋突端の舟の確保に拘ったのでしょう。
石井 そう、当時日曜例会の優勝は精々3キロ4キロ。
本誌 昭和50年頃の記録を見ても、平日例会で優勝10キロ前後。日曜日が釣れなかったはずです。
石井 三島湖が釣れるようになったのは途中から。「例会で20キロ釣れるようにしようや」を合言葉に舟宿1軒あたり200万円、5軒で1000万円を集め、全放協への委託と舟宿の自主発注で年間20トンの放流を続けました。
本誌 其のおかげで昭和50年代後半から釣果が急速に伸び、今があります。そして石井さんの其の後は?
石井 高校卒業後は東京へ出て建築の道へ進み、マンションの設計とかを46歳頃までやってました。
本誌 三島湖から離れたのですね。
石井 日曜日などは手伝いに帰り、父と手分けして舟を曳くこともありました。今年が還暦で、此処へ戻って舟宿を継いでから14年になります。
本誌 ところで、三島湖は誰が所有しているのですか?
石井 千葉県が築いた農業用水のダム。各舟宿が君津市を通じて、千葉県から桟橋の占有許可(桟橋を造って舟宿を営業する許可)を頂いています。合わせて湖面管理も任されている。
本誌 舟宿を経営できるのは此の土地の人だけですよね。
石井 ダムに沈んだ小糸川の周辺に住み、畑や田圃を持っていた人たちです。漁業権はないし陸釣りは誰でも出来るけど、舟宿の経営は難しいでしょう。
本誌 そして、農業用水の宿命とはいえ、夏になると大減水してしまう。
石井 そうです。東京湾に面した富津の先の田圃まで、三島湖が面倒みているためです。
本誌 「上流の豊英湖が助けてくれれば良いのに」と何時も思うけど。
石井 豊英は千葉県が新日鉄君津製鉄所のために造ったダム。新日鉄が水の再利用可能なプールを造り、高炉の数も減った現在、水の需要は一時ほどではないはずだけど…製鉄以外の目的で水を落としてもらうのは簡単ではありません。
本誌 豊英を見ていると夏場でも満水。
石井 そう、千葉県の農業部門と工業部門で遣り取りがあり、この7月8月は水を援助してくれるはずです。去年は6月に田圃の需要が増えて三島湖が大減水となり、といって豊英から水を流してもらえず、一気に10m減水しちゃった。梅雨に入ってことなきを得ました。毎年、梅雨が明けると簡単に10m減水してしまうのが三島湖です。
本誌 ダムと云えば、老朽化に伴う堰堤工事の将来が見えず、三島湖へのへら鮒放流が止まっています。日研ニュースで最近の放流状況を見ると、平成29年の4.118トンの後は平成30年、令和元年が共にゼロ。昨年の令和2年に全放協から0.15トン、日研から同じく0.15トン。3年合わせて0.3トン=300キロ。三島湖にしてはやや寂しい状況です。
石井 ワカサギの放流も止まってる。ダムの堰堤工事に3年は掛かるそうで「本格的放流は工事が終わった後で考える」ことになってます。
本誌 一方、舟宿は2年続けて小べらの放流を続けてくれている。
石井 そう、養魚場の人も「1年あればどんどん育ちますよ」と言ってます。
本誌 現在、エサ打ちすると水面でヤマベが盛んに跳ねる。理事長の遠藤が「ブラックバスはエサとなる水生動物との共存関係で生息数が決まる宿命を負っている」「バスの資源量(生息数)は安定期に入った」と言っているとおり、三島湖においても共存可能な環境が生まれつつあるのでしょう。自信を持って放流を続けてください。小べらが残って育つことを願ってやみません。
石井 小べらの放流について理解くださり嬉しく思います。ただ…正直なところ、今後のへら鮒放流はゼロにはならないだろうけど「お客の動向に掛かっている」面がある。
本誌 分かります。売上を期待できないところに投資はできません。私たちも「釣れないから行かない」ではなく「釣れるようにするため行こう」が大切。とはいえ、放流してない割には釣れますねえ。最近の釣況を見ても、5月27日、イーグルへら鮒会の優勝は豚小屋で41枚32.1キロ。6月1日も竿頭は鳥小屋で74枚。3年間300キロで、此の数字はスゴイ!
石井 但し、今は上下の差が激しいかな。百戦錬磨のへらが多いため、平均して10キロ20キロは釣れない。食いが悪かったり、日曜日に並んだりすると苦戦します。
本誌 そう仰いますが、今日も12杯並んだ豚小屋、コーラ感嘆とオカメのセットで10時半までに良型中心に15枚釣れた。その前5杯の入釣だった時は、同じ10時半までに26枚。三島湖は底力があります。
石井 ありがとうございます。とはいえ、ワカサギを見ていると、放流量と釣果は明らかに直結している。諏訪湖から1箱に100万粒入った卵を買ってくるのですが、10年前の30箱3000万粒の時は一人あたり200〜800匹と釣れていた。それを10箱1000万粒に落とすと釣れない。
本誌 生態系が安定したとはいえ、バスがどれだけ食べるか、ワカサギがどれだけ残るかなのですね。
石井 バスが入る前は放流しなくてもワカサギが釣れました。しかし、三島湖にバスを放流した記録はないのですよ。
本誌 昔は秘密放流とか言われたけど、最近の研究では「鳥が水草と一緒に魚の卵を食べる。鳥は飛んでいった先の湖沼に糞をする。消化を免れた卵が其処で孵化する」形で魚の棲息範囲は広がるそうです。そして、現在の三島湖はバス釣りに支えられている。

3 バス釣りへの転換
石井 そう、石井があるのはバス釣りのおかげ。先ほどお話したとおり、此処はポイント的に不利でしょ。石井には数より型を求める人が多く、Cロープの底釣りは大きいのが釣れると人気だけど、其処も夏には丘になっちゃう。
本誌 へら鮒は下流の深場へ落ちてしまいます。
石井 そのため最盛期の頃も、他の舟宿で舟が取れなかった会と昔馴染みのお客に支えられていました。それが、釣り会の減少と高齢化で殆ど来なくなってしまった。
本誌 企業努力の範囲を超えていますね。
石井 今年に入って石井を使ってくれた会は、ドボ健さんのいる日研文京をはじめ3つだけ。
本誌 驚きました。それは辛い。
石井 フリーの個人も高齢化とコロナで来ません。野釣りの衰退を感じずにはいられない。若い人は何処へ行っているのですか?管理池?
本誌 管理池の方が明らかに客層は若い。そして「フラシを持っていない人さえいる」と聞きます。
石井 管理池の魅力は何でしょう?
本誌 私が考えるに…まず、管理池は費用的にも時間的にも野釣りより手軽。8〜9尺1本で一年中ウドンセットという人もいるそうです。そして、野釣りは一場所二場所の面があるけど、管理池は腕の勝負になる。私は「マグレのある野釣りが好き」だけど「直ぐに浮子の動く+場所が悪かったの言い訳が効かない+勝負の緊張感に満ちた管理池が好き」という人も多いでしょう。なにより、管理池にはメーカー主催のトーナメントがあります。毎月の例会を積み重ねて年間優勝しても、残念ながら昔ほどの評価はない。しかし、トーナメントで勝てば雑誌に大きく取り上げられる。その魅力は大きいと思います。
石井 なるほど。
本誌 ところが、トーナメントがへら鮒釣りの裾野を広げたかというと…私はドウカナと思うのですよ。トーナメントに熱中してるのは200〜300人程度と云われています。しかも上位を争う人は限られている。その一方で野釣りから若い人を遠ざけたとなると、期待する程の効果が果たしてあったのか。何処の舟宿でもお客の高齢化は深刻です。
石井 なるほど。
本誌 メーカー主催の三島湖大会に何百人と集まり、優勝者が雑誌で大きく取り上げられたら…と思うことがあります。事故のリスク、参加者の管理など様々な問題はあるけれど、何処かのメーカーが大野釣り大会を企画してくれないものか、優勝者が最高の栄誉に包まれないものか。私の願いです。ところで、石井さんはへら鮒釣りの減少とバス釣りの人気にどのように対応されたのですか?
石井 バス釣りは徐々に増えていきました。
本誌 最初は勝手に入ってきたのですよね。
石井 そうです。車が降りられる長倉台などから、フローターやバスボートで入ってきた。
本誌 追い出したりはしなかったのですか?
石井 勝手に舟を入れるのは三島ダムの禁止事項かもしれない。但し、それはダム管理者の千葉県が追い出すべきで、車が降りられないよう柵を作ったりするのが本筋でしょう。
本誌 分かります。
石井 千葉県との協定書を見ても、舟宿による湖面管理はゴミ収集などに留まり、バスボートに退去を求めることまでは含まれていません。夜中にバスボートを浮かべてる人を見つけ、警察呼んで注意したことがあるけど、これはあくまで危ないから。夜中に石井の桟橋で釣ってる人が居て、出て行ってもらったことがあるけど、これもあくまで危険+不法侵入だから。バスボートに対しては黙認の状態が続きました。
本誌 そしてバス釣りを正式解禁。
石井 4年前の平成29年11月17日、三島湖はバサーへの舟の貸し出しを始めました。
本誌 当時を振り返って如何ですか?
石井 実は、私の父は「お客が減ってるし廃業かなあ」「私が死んだら廃業かなあ」と言ってました。そして、父が世を去った平成29年、廃業を考えた。
本誌 私「石井廃業」の情報を聞いて驚きました。
石井 そう、へら鮒のお客は全く来ないし、平成29年を最後に店を閉めるつもりだったのです。しかし、バス解禁となり「ちょっとだけやってみようかな」と思った。
本誌 その結果は?
石井 当たりました。
本誌 良かった!私は「舟宿が釣り場を守ってくれている」「舟宿がなくなれば釣り場が消える」と思ってます。バスのおかげで三島湖のへら鮒釣りが続く。舟宿の英断に感謝する他ありません。そして、現状は如何ですか?

4 バスボートの繁盛
石井 最も大きかったのは、石井の悩み「ポイント面での不利」を克服できたことでしょう。
本誌 なるほど、エレキで動くバスボートは移動が自由自在!
石井 そう、バス釣りならサービスの面でお客を呼ぶことが出来るのです。例えば、バサー=若い人と思うでしょうが、決してそんなことはありません。石井に来るバサーの最高齢者は75歳。20〜30代ならともかく、40〜50代になると1個25キロのバッテリーを運ぶのは大変。
本誌 私も桟橋で持ってみましたが、あれを車から運ぶのはキツイ。
石井 昔は店から桟橋までの階段が急で、それが辛くてお客が離れた。バッテリーについて、水平運びならともかく、上へ下へ運ぶとなると苦情が出るのです。一度来てオシマイの人も少なくなかった。
本誌 その階段を改善したのですね。
石井 そうです。なだらかなスロープにして、重い荷物を運ぶリフトもつけたら、三島湖での評判が急上昇し…お客がやってきたのです。昔は4〜5艇だったのが、毎日15〜20艇出るようになった。バスは投資の甲斐があります。
本誌 となると、現在石井の売上の多くはバス釣り。
石井 殆どと云って良いでしょう。
本誌 おお、殆どですか!
石井 加えて、へら鮒釣りは放流バッジの割引があるから2千5百円。一方、バスボートは一人乗り3千円、2人乗り4千円、3人乗りは5千円。その半分に湖面を移動するためのエレキも貸しているから…一人乗りに足で動かすフットコンエレキ1機(3千円)とバッテリー2個(2千円)をつければ8千円。パワーのある高性能エレキ(5千円)なら1万円。
本誌 驚きました。へら鮒釣り4杯分!
石井 バサーは8千円や1万円を許容してくれます。三島湖は各舟宿ともバスボートを20艇に抑えていて、石井も同じく20艇ですが…その半分にはエレキとバッテリーがついている。「竿さえ持ってくれば釣れます」が石井のアピールポイント。おかげで蘇りました。
本誌 良かったです!舟宿で景気良い話を聞くことが減っているので、殊に嬉しく思います。とはいえ、投資は大変だったでしょう。
石井 安くありません。殊に高性能エレキなら新品で30万円を超える。
本誌 え!
石井 だから借りてくれるのでしょう。そして、舟宿が通常持っているレンタルエレキはパワーが弱くて遅いため、高性能エレキに人気が集まる。将来的には増やしていきたいと考えています。
本誌 今日は初めて聞く話ばかりです。三島湖の各舟宿が20艇に抑えているのも、経営判断からですか?
石井 そのとおり。ボートを増やすと、バスがスレて釣れなくなる。そしてお客が離れていく。三島湖はそうなりたくありません。
本誌 バスは大型を狙うのですよね。
石井 そうです。へらは数釣れて当たり前だけど、バサーは大きいのが1本釣れればよい。さすがに60オーバーは滅多になく、石井でも解禁以来1〜2本しか出ていません。50pが基準。「50オーバーが1本来れば嬉しい」のがバス釣りです。
本誌 そうなのですか!へらを釣ってると、ボートの下に大型バスが居るのは珍しくないどころか毎度のこと。こぼれエサを求めて小魚が寄り、小魚を求めて大型バスが寄るのでしょう。私、バサーとおしゃべりするのが好きで…必ず「此処に投げてごらんなさい」と声を掛ける。高確率どころか大概一発で釣れて、大いに喜ばれます。
石井 そう、釣れるんです。ところが上級者やプロはそれをやらない。
本誌 え!
石井 それは「へらパターン」と呼ばれる。へらの釣り人と仲良くしてボートの近くで50p釣っても、尊敬されない。
本誌 初めて知りました。とても喜んでくれて、我がことのように嬉しいけど。
石井 へらのボートが15時頃上がった後に投げても釣れる。寄ってる桟橋の陰に投げても釣れる。初めての人が其れでバス釣りを好きになってくれるのは大いに結構ですが…本当のバサーは嫌う。何もない場所で釣ってくるのが名誉なんです。
本誌 奥深い世界ですね。さて、バスは放流できません。三島湖はどうやって其の資源を守り育てているのですか?
石井 自然繁殖に期待する他ありません。そのため、大切なバスが傷まぬよう、釣った魚をエアポンプを付けた水箱に入れて桟橋へ持ってくる「ライブウエル」は禁止。アメリカのトーナメントとか、優勝者が大きなバスを高々と掲げるでしょ。あれはダメ。釣果の記録は現場での写真に限ってます。
本誌 へら鮒の現場検量以上ですね。
石井 但し、三島湖は産卵時期から水が減っていくのが辛い。桟橋周辺に産んでくれれば良いけど、岸辺に産卵すれば卵が干上がってしまう。
本誌 もっともです。
石井 バスの稚魚が沢山泳いでいるので、まあ繁殖率は高いみたいですが、ワカサギとかの大量放流で資源を維持する必要があるでしょう。三島湖は冬場の釣りがないので、ワカサギが有効かもしれません。

5 へら鮒釣りとの共存
本誌 バスの売上げが伸びて舟宿の健全経営が続けば、へら鮒釣りの維持にも役立つ。バス釣りの隆盛に感謝です。
石井 もちろん、へら鮒釣りを軽視しているわけではありませんよ。三島湖にとっては同じく大切なお客。「工事終了後、放流量を前の4〜5トンには戻したい」と考えています。
本誌 ありがとうございます。
石井 但し、高齢化の中でどれほどの人がへら鮒釣りに来てくれるかは大切。
本誌 よく分かります。
石井 例会が減った現在、50代60代までの個人に三島湖へ来ていただくにはドウスレバ良いか。共に考えなくてはいけません。
本誌 本当は例会を行う釣り会が大事ですね。小山圭造さんも「例会は10人が10人じゃない。試釣に来る。雨が降っても例会は来る」と仰ってる。だからこそ、例会の集まりでもある日研は大切。
石井 けれど若い人の例会離れと云われ、野釣りの例会はどんどん減ってるでしょ。
本誌 「人間関係、上下関係に縛られるのがイヤ」と云いますね。とはいえ、例会で友人と仲良く競い、共に歳を重ねていくのは楽しい。私も赤坂支部で42年目。殆ど人生と一緒です。互いに礼儀正しく、丁寧な言葉で接していれば、釣り会ほど楽しいものはありません。簡単にイヤと言ってしまうのは…あまりにモッタイナイ。一方、バサーは個人が多いのでしょ。
石井 石井がバス釣りを始めてから、来てくださったお客の累計は4年間で5千人。
本誌 え!
石井 もちろん1回の人も常連になった人もいますが5千人。バスは新規のお客が多いのです。
本誌 そう云えば、ボートを予約できる石井のホームページは立派ですね。
石井 一人では対応できないため、ボートの電話予約は受けていません。全てネットを通じて行い、当日0時まで予約可能。
本誌 驚きました。
石井 建築の仕事でパソコンに慣れていたので、ネットを通じた予約方法を学び、基盤となるソフトを探してボート向きに改良しました。リアルタイムで予約すると枠が埋まり、満杯になれば満艇と出る。こんな舟宿は他にないでしょう。
本誌 素晴らしい!ポイントの不利を「機器の充実と顧客サービス」で補ったのですね。さて、今後の抱負は?
石井 へらもバスも三島湖にとって宝。共に大勢の釣り人が楽しんでくれることを願っています。
本誌 へら鮒釣りの維持のためにも、バス釣りの繁盛が続きますよう。なにより「ニワトリタマゴ」ではないけれど、へら鮒の放流に目を向けていただくべく、私も三島湖へ足を運ぶよう心がけます。新しい組合長としてご活躍ください。此れからも宜しくお願い申し上げます。
 
「静岡県における放流バッジの価格について」


危機感がつのる
(1971年の日研ニュースより)




全放協の発足
(1972年の日研ニュースより)





横利根川への放流(2020年)




 精進湖への放流(1973年)




  西湖への放流(1974年)
   静岡県の方から寄せられた質問にお答えします。
 まず、放流バッジを販売しているのは日研ではありません。「全日
本へら鮒放流協議会」です。
 1972年(昭和47年)の発足当時はアンチ日研の気風もあり、「他団体
の協力も得てへら鮒放流の裾野を広げる」ため、日研とは別組織とな
りました。但し現在、ボランティアとして放流にあたる人々の多くが
日研の会員でもあります。「全放協と日研との関係が分かりにくい」
との声は多く、将来的には両者の統合を目指しています。
 そして、放流バッジの販売価格は現在1,500円。昭和47年の販売開始
当時は1,000円でした。現在の物価に直すと3,000〜4,000円にあたるでし
ょう。「現在の価格は物価上昇に沿っていない」とも云えますね。放
流バッジ=放流への寄付であり、複数個を購入くださる方もいます。
 さて、へら鮒釣り人口が多い関東と異なり、へら鮒釣り人口の少な
い地域では、1個1,500円×販売個数では十分な放流量を確保できませ
ん。そのため、本来1個1,500円ではありますが、「協力をお願いす
る」形で、全放協の地区組織が独自に販売価格を上乗せしている地区
もあり…東海地区の「プラス500円」が此れにあたります。もちろん、
誰の収入にもなっていません。東海地区におけるへら鮒放流量の増加
につながっています。
 
 「国内外来種だから駆除して良い」には全く法的根拠がありません
           日研理事長・遠藤 克己、同広報部長・吉本 亜土


愛知県 佐屋川




山梨県 西湖




北海道 砂取沼




新潟県 下条川ダム




静岡県 田貫湖




石川県 木場潟
   池の水を「かいぼり」するテレビ番組があります。番組の中でへら鮒は「国内外来種」と位置づけられ、駆除の対象となっています。これに対し「日研はテレビや議員に訴えるような行動を取っていない」との批判を頂き、日研ニュースや釣り雑誌で説明してきましたが、今も「何故?」との声が寄せられ…此の問題に関する皆さまの関心の深さを感じます。改めて説明させていただきます。

 まず、「国内外来種という名の生物は存在しない」「池に棲息する生物は地権者(池主)の所有物である。愛玩、食用、駆除、販売など全て地権者の自由である」。この2点を是非ご理解ください。その上で話を進めます。

 近年、山形県新庄市の最上公園の池、埼玉県上尾市の上尾丸山公園大池において、テレビ番組の撮影などを兼ねた大規模な「かいぼり」が実施されました。そして我がへら鮒は、鯉などと同様「国内外来種」として敵視され、駆除の対象となりました。へら鮒とへら鮒釣りを愛する人々の当惑は大きかった。但し、最初に記したように「へら鮒は法律で国内外来種と認定されているため駆除された」わけではありません。

 確かに国が2005年6月に施行した「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」(外来生物法)では、問題を引き起こす海外起源の外来生物を「特定外来生物」として指定。その飼養、栽培、保管、運搬、輸入といった取り扱いを規制し、特定外来生物の防除などを行うことを条文化しています。しかし「国内外来種を規制する」とは一言も記されていない。環境省は特定外来生物の指定予備群として「生態系被害防止外来種リスト」を作成しており、「国内由来の外来種」も対象にはなっていますが、鯉もへら鮒(ゲンゴロウブナ)も当該リストには載っていないのです。当然、琵琶湖から全国へ放流されるアユも載っていません。では何故、テレビに出演する自称専門家が言いたい放題なのか?

 それは、その水域には地権者(池主)がいて、水域に棲息する魚類について「地権者(山形県、埼玉県の場合は市)に所有権がある」と認識されるためです。難癖つけて駆除しようが食用にしようが、遣憾ながら基本的に「所有する者の自由」と解釈されるのです。我々が救ってくれと懇願しても、他人のモノをどうすることもできません。逆に、皆さまが鯉の養魚池を持っていたとしましょう。此の池の鯉を自由に食べたり売ったり出来るのも、池主=鯉の所有者という認識があるおかげ。もし此の認識が認められなければ…鯉を眺め、時に麩も与えている近所の人が現れ「私にとって心の安らぎです。獲らないで欲しい」となりかねません。お分かりでしょうか。

 ゆえに山形県のケースでは、「最上公園へら鮒愛好会」が中心となって陳情した結果、以前から行政の許可を得てへら鮒を放流してきた側の所有権が認められ、テレビ取材のかいぼり時は一時的にヘラブナを別の場所に移し、終了後に再度許可を得て原状回復したのです。しかし、そのような事実は恣意的なテレビ番組では当然説明されません。 
 同じようなケースは九州の名釣り場・北山ダムにおいても起こりました。ダムゲートの補修および湖岸の補強工事に伴う「ダムのかいぼり」に対応し、長年にわたる放流実績を認めた九州農政局はダム上流に「へら鮒避難池」を造り、へら鮒を保護してくれたのです。これに対し埼玉県の例では、遺憾ながら我々も協力した署名運動の甲斐もなく、へら鮒は駆除されてしまいました。しかし、此れは「国内外来種だから」ではありません。池主である市の方針のため、また放流実績も認められなかったため、我々は引き下がるしか術がなかったのです。

 ご理解いただけたでしょうか。そして「放流は不安定な土台の上に成り立っている」と気づかれたと思います。此れまでへら鮒が護られたのは「放流実績が認められたから」。逆に「放流を認めれば、何かあった時、ギャーギャー言われて工事が進まないかもしれない。ならば放流など認めない方が良いかもしれない」となる危険もあるのです。そのため、へら鮒を護った人々は当局と細心の注意を払って交渉にあたりました。これからも地域の観光および経済の振興にも役立つ放流が続けられるよう、私たちは池や川の管理者との関係を密に保たなくてはなりません。

 これらの活動で我々日研が頼りにしている組織は、「公益財団法人 日本釣振興会」(通称・日釣振)です。同会とは、ブラックバス問題で利害が一致しなかった時期もありましたが、現在は国内外来種問題などで歩調を合わせて活動を展開しています。日釣振は国会議員などで構成される「釣魚議員連盟」とも関係が深く、社会的な影響力も充分です。皆さまも日研や日釣振の会員に登録し、社会的活動に積極的にご参加ください。宜しくお願い申し上げます。

 
シリーズ「この人に聞く」第85回 中島屋 斉藤 輝雄 氏


中島屋主人 斉藤 輝雄 氏




昭和20年代、横利根川と繋がっ
ていた「川脇の内川」で釣る
土肥 伸




舟の並ぶ横利根川
(へら鮒 昭和43年11月号)




早春の横利根川
日研機関紙「はねうき」
昭和47年

   昭和25年の創立以来、日研と横利根の関係は極めて深いものがあります。なにより昭和18年、土肥伸が大阪から横利根の川脇へ移住したことが、関東におけるへら鮒釣り発展の基礎となりました。釣舟組合の組合長を務める斉藤輝雄氏にお話を伺います。

本誌 大会で例会で、お世話になっています。ありがとうございます。まず、お生まれをお聞かせください。
斉藤 昭和21年11月9日。佐原生まれの佐原育ちです。
本誌 初めての魚釣りは?
斉藤 子供の頃、藪の篠竹を切った竿にミミズをつけてのマブナ釣り。釣り場は近所の水路でした。
本誌 「水郷」という言葉どおり、当時は水路が沢山あったのですか?
斉藤 あったどころか、当時は水路が道路。今は中島屋の中華料理店になっている場所からバイパスを越えて、我が家の田圃の方まで水路が伸びてました。
本誌 此の辺りも、水郷のイメージどおりの景色だったのですね。
斉藤 そうです。道は精々自転車が通れる程度で…田圃に行くのは水路、収穫した米を運ぶのも水路。中島屋の前には現在の県道が走っていたけれど、当時は砂利や石ころだらけの道でした。あの幅広のバイパスが出来たのは耕地整理が終わった後、昭和50年代半ばです。
本誌 中島屋(茨城県)の、横利根を挟んだ対岸(千葉県)もですか?
斉藤 もちろん。中島屋対岸のポイント「荒河吐き出し」は、埋め立てられた荒河川の跡。此の水路を通って、中島屋から丸江湖や与田浦へ往復していたのです。
本誌 昔は船頭さんが案内したと聞きます。
斉藤 農閑期になると、近所の30人ほどが舟と共に中島屋に手伝いにきました。釣り客1〜2人を乗せ、寒い時期なので炬燵も舟に積み、水棹を操って連れて行く。昭和20年代は竿2〜3本並べてのマブナ釣りが主流でした。 
本誌 日研誕生が昭和25年。へら鮒釣りは始まったばかりですね。となると、斉藤さんは土肥伸や小林隆夫は覚えておられない。
斉藤 残念ながら記憶にありません。日研で云えば、米地南嶺さんや山口幸司郎さんからです。
本誌 釣り人を乗せた舟は、元々農業用の舟なのですね。当時の写真を見ると、牛まで運んでいます。
斉藤 そう、米俵なら14〜15俵は載る舟。私も父を手伝い、中島屋の本家から借りた牛と一緒に舟で田圃へ通ってた。当時、ワラを切って牛にエサをやるのは子どもの仕事。本家は軍馬のエサになる秣(まぐさ)も作っていて、此処から利根川経由で東京へ送ってました。 
本誌 斉藤さんは子どもの頃から水棹が使えたのですか?
斉藤 もちろん。今でもやれば出来ますよ。
本誌 中島屋が旅館を始めたのは何時頃ですか?
斉藤 当時、東京からの日帰りは無理。小学生の頃、既に旅館業の許可を取って釣り客を泊めていた。丁度、東京から竜ケ崎、新利根川、上の島新川経由で来る釣りバスの終点が中島屋で…繁盛しました。
本誌 では、当時から沢山の舟を持っていた。
斉藤 いや、子どもの頃、中島屋として持っていた舟は10杯もありません。先ほど話したように、近所の人が舟と共に船頭としてやってくる。空いてる舟だけ借りることもありました。当時は今のような簡単なカッパギ(角棒の両端に板を付けた、舟の推進具)はなく、釣り人が自分で水棹を操る。船頭つきも船頭なしも、舟は近所から借りてくる方が多かったです。
本誌 「昔の人は先ず櫓と水棹の扱いを学んだ」と聞きますね。ところで、中島屋は「ダンゴ屋」とも呼ばれますが、斉藤さんにとってダンゴの記憶は?
斉藤 実はダンゴを売っていた記憶はありません。食堂の左奥、玄関のある場所(大会の度、企画部が検量カードを集計する場所)でダンゴを焼いていたようですが、私が小学校の頃にはやめてました。
本誌 ところで、フィクサーとして知られ、釣りも好きだった児玉誉士夫の随想「生ぐさ太公望」に中島屋が出てきます。夕食にナマズ鍋が供され、珍しく釣り客ならぬアベックが泊まり合わせて家が揺れ…翌朝「ナマズなど食うから地震が起きただべ」というオチなのですが、ナマズ鍋は覚えておられますか?
斉藤 覚えています。ナマズの肉、焼いたナマズの皮、鶏の挽肉の団子と野菜を味噌で煮込んだ鍋。
本誌 当時は七輪ですか?
斉藤 そうです。
本誌 風情ありますね。
斉藤 けれど、鍋より蒲焼きの方が多かった。ウナギは当時も高かったので、ナマズなんです。川魚屋から仕入れ、食堂から真っすぐ川へ出て左10mの所にあった生簀に泳がせてました。
本誌 河畔の宿でナマズ。いいですね。ところで昭和40年代、横利根は大人気で…寒べらのシーズン、すなわち真冬でも夜中の12時前に出舟しちゃったと聞きます。大変だったでしょう。
斉藤 例会のバスが着くと、貸し出しの豆炭アンカと毛布を積み、ポイント確保のため次々出舟。
本誌 今ほど防寒着も発達していない時代、アンカと毛布で夜明けを待つ。しかも当時は「横利根が凍った」と聞きます。昔の人はエラカッタと云う他ありません。事故は起こらなかったのですか?
斉藤 落ちた人は結構います。けれど幸い「水に落ちて水死」という記憶は今に至るまでない。船から上がった後の脳梗塞や心筋梗塞はありますが…。
本誌 此れを言うと皆から怒られるんですけど、私「死んで落ちる人はいても、落ちて死ぬ人はいない」と思ってる。但し、水から上がれずに死ぬリスクは極めて高い。何年か前の団体ベストファイブ戦で中島屋対岸に舟をとめ、魚に持っていかれた竿を追いかけて前から落ち、駆け付けた斉藤さんに助けていただきました。
斉藤 よく覚えています。
本誌 あの時、9月初めの軽装だったけれど、コンクリ護岸へ全く上がれなかった。斉藤さんにようやく引っ張り上げていただいた。崖に両手を掛けて身体を持ち上げるなんて…映画の世界です。
斉藤 そう、あの高さがあると護岸は上がれません。
本誌 ボートだって、水中から船べりに手を掛けて上がるのは難しいでしょう。だからこそ、助けてもらうまでの時間稼ぎとしてライフジャケットは絶対必要。私、声は枯れちゃうので、必ず呼子(ホイッスル)を持ってます。映画「タイタニック」の女の子も最後、呼子のおかげで助かったでしょ。
斉藤 ダウンジャケットも、空気が入ってるから暫くは浮いてると思うけど。
本誌 やがて水が浸みたら、余計に重くなるでしょう。いよいよ上がれない。横利根なら誰かが助けてくれる可能性が高いけど、寒い時期、三島湖や豊英湖などの奥、誰もいない場所で釣るのは危険だと思います。さて、昭和40年代の混雑…源義経の八艘飛びみたいに、水上を舟から舟へ移動できそうな写真が有名ですが、中島屋は如何でしたか?
斉藤 日曜日など、近所のおばさん2人に手伝ってもらい、朝ご飯と昼の弁当用に、お米を2斗(36リットル、約30キロ)炊いてました。夜中に着いた釣りバスから降りた人が朝ご飯を食べ、昼の弁当を持って出舟していく。寝るヒマなどありません。殆ど徹夜でした。
本誌 2斗ですか!オカズは?
斉藤 朝ごはんは海苔、玉子、納豆、お新香に味噌汁。今と同じですね。昼の弁当は、持ちが良いので塩ジャケ。
本誌 商売繁盛とはいえ大変でしたね。出舟時間が決まったのは何時頃ですか?
斉藤 昭和40年代の後半じゃないかと思います。
本誌 当時、中島屋の舟の数は?
斉藤 自前の舟が100杯ちょっと。冬場は与田浦のはなわから30杯借りてきて130杯。逆に春先は与田浦が忙しくなるので、中島屋からはなわに舟を貸していました。
本誌 はなわ。関べらの和田敬造会長が応援した舟宿ですね。ところで当時、横利根全体で舟宿は幾つあったのですか?
斉藤 下流から平野、中島屋、小松屋、寺島、利根食堂、堀井、黒田、西代のT字路のところに根本、西代屋(へら鮒社の創業者、根本良一氏の実家)、水郷館、高橋、サトー、一竿、柳町。
本誌 二七屋とあづまは?
斉藤 2軒は其の後に生まれました。他に小松屋の対岸に、組合には入ってないけれど舟を貸していた岩井があった。中島屋以外は左程の舟数ではなかったため、全体では500杯程だったでしょう。
本誌 現在の4倍ですね。宿泊は?
斉藤 旅館業の許可を取っていたのは中島屋と小松屋。但し、部屋がある所は懇意にしている釣客を民宿のように泊めていた。近所の農家も泊めてました。
本誌 貸舟と宿泊、大賑わいだったことが分かります。それが今…秋季大会翌日の11月9日(月)、小松屋から出舟して小松屋上流の最初の鉄ピン、すなわち前日の優勝ポイントを目指したら、釣客は私一人。他に中島屋から関べらの人が出ていて、合わせて二人。平日とはいえ、放流日翌々日で浮子は動きっぱなし。楽しい釣りが出来ることが分かっているのに二人。胸が痛みます。
斉藤 そう、平日は誰も来ない日もある。
本誌 水棹が苦手という人が増えているのでしょうか?後ろに綺麗にハの字にとめるのは無理でも、地底の軟らかい舟の前に刺せば、私でもなんとかなるのに…。それでいて、陸釣は賑わっている。
斉藤 陸釣の人たちは舟に乗りません。
本誌 そう、大会や例会でお世話になっているので、横利根へ行ったら「舟に乗る」のがマナーだと思ってます。
斉藤 ありがとうございます。確かに、舟宿が交代で陸釣の人から放流協賛金300円を集めているけど、日研の人は見かけない。「この人ウチから出たことある」という人も見かけない。舟と陸では世界が違うような気がする。
本誌 気を遣ってるのは私一人じゃないんだ。
斉藤 護岸が出来てからへら鮒釣りを始めた。そんな人も多いような気がします。毎日来る人も珍しくありません。
本誌 なるほど。年金生活の楽しみに「横利根で陸釣」の人も多いのですね。そうなると、2千円の舟代でも確かに負担を感じるでしょう。とはいえ、中には支払いに抵抗する人もいて…大変と伺っています。
斉藤 国交省に「川の鉄ピンを抜くべし、ロープを外すべし」と訴える方もいます。
本誌 あれは何のためなのですか?
斉藤 「此処から沖へ舟をとめないでください」の目安です。
本誌 私、鉄ピンは水棹の補助、ロープは陸釣除けと思ってました。
斉藤 そうではありません。昔は土砂を運ぶ船や台船が多く、乱暴な運転をするケースも見られ、沖へ舟をとめると危険だった。そのため、国交省に届けたうえで、舟宿が自費で鉄ピンとロープを整備したのです。
本誌 初めて知りました。危険防止だったのですか!
斉藤 緩んでいる箇所もあるため、陸釣除けと思われたかもしれません。中島屋周辺はロープが緩む度に私が張り直し、ロープづけで舟がとまるようにしていました。
本誌 一日遊んで300円。放流資金になるのだし、気持よく払った方が楽しいと思うけど…。
斉藤 そういう人ばかりだと良いのですが…。漁業権がないため、あくまで協力金。強制力はありません。
本誌 その300円。釣れる横利根の元「仕切り網」にも使われるのでしょう。
斉藤 そのとおり。但し、組合として仕切り網の維持が難しくなり、来年5月で撤去となります。
本誌 仕切り網には感謝しています。出来る前と出来た後、釣果は明らかに違う。どのような経緯で生まれたのですか?
斉藤 「折角放流したへら鮒が逃げ出しては、横利根が釣れなくなる。それでは舟宿の生活が成り立たない。よって仕切り網で魚の逃走を防ぎたい」と…昭和60年頃でしょうか、衆議院や県議会の先生方を通じてお願いしたのです。
本誌 よく認められましたね!
斉藤 「生活のため」が大きかったのでしょう。最初は放流の11月から3月いっぱいまで。後に通年。潮来にある国交省の工事事務所から臨時の認可となっていて…3カ月に一度、平野さんが更新に行ってくれてます。
本誌 仕切り網、効果ありましたね。
斉藤 張る前は、冬になると魚が第二大曲の深場へ集結していた。
本誌 場所の取り合いが激しく、好ポイントの目印のゴミ箱を「勝手に動かした」という話を聞いたこともあります。
斉藤 その集結を避けるため、深場の手前に仕切り網を張ったのです。
本誌 臨時の許可を更新となると…5月に撤去されたら、二度と張れませんね。
斉藤 残念ながら其のとおり。とはいえ、5月に高橋三男さんが亡くなって舟宿あづまが廃業し、残ったのは平野、中島屋、小松屋、堀井の4軒。高橋さんが亡くなるまで、日曜日はお客が来るので組合でアルバイト(一日5千円で釣り好きの人が協力。仕切り網の近くで陸釣する傍ら、船が来ると仕切り網を上げる)を頼み、残り月曜〜土曜の6日間を5軒の舟宿で回していました。けれど、あづまが廃業した現在「6日間を4軒」では回しきれないのです。といって、一日5千円でアルバイトを頼むのは資金的に難しい。撤去以外に道はありませんでした。
本誌 舟宿が沢山あり、横利根が500杯の舟で賑わっていた頃より、現在の方が「数も型も釣れている」のに…残念でなりません。仕切り網撤去となると、陸釣から頂く放流協力金がドウナルカも心配です。とはいえ、仕切り網協力金ではありませんでした。放流に充てられるのだから、仕切り網が撤去されても「放流に協力をお願いします」と徴収可能なのではありませんか?
斉藤 舟宿組合で話し合っているところです。確かに今後が心配。但し、昔と違う点があります。
本誌 それは?
斉藤 護岸の下にテトラが入っていること。昔はオダが所々ある程度で、魚の付き場がなかった。そのため、春先になると北利根や霞ケ浦へ出ていった。今はテトラがあるため「全部が全部行かないのでは」と期待しています。
本誌 カサゴ釣りみたいですね。私もテトラの威力に期待したいと思います。ところで、横利根の舟宿は現在4軒。後継者も含めて今後が心配でならない。なにより、舟宿だけでは生活が成り立たないのではありませんか?
斉藤 そのとおりです。今の時代、舟宿だけでは生活が難しいため廃業となる。中島屋でも50杯の舟が出払うことは、ここ何年ありません。例会の入る日曜日でも20〜30人。8月から放流前の釣れない時期は、例会も殆ど組まれない。吉本さんが経験されたように、放流の翌々日でも一人ですから、平日はゼロが珍しくない。もちろん、風や雨だと例会以外は来ない。
本誌 私はよく「例会じゃなきゃ行かない日」という言葉を使いますが、舟宿にとって天気は重大事です。
斉藤 舟宿だけでの生活は難しい。中島屋も中華料理店があるから、今はコロナで大変だけど、なんとか持っている。現状「年金プラス舟宿」の隠居商売でないと無理でしょう。
本誌 日研は此れまで舟宿にお世話になってきました。理事長の遠藤も「舟宿を守る責任がある」と言っている。なにより、横利根の舟数は現在120杯ほど。これ以上舟宿がなくなったら…農水杯はじめ日研の行事が難しくなるのです。
斉藤 後継者が居るか居ないかも大きい。水郷館もあれだけ曳舟で行くのだから、今やってれば「一番良かったのでは」と思うけど、後継者の問題から廃業してしまわれました。
本誌 残念でなりません。他の舟宿も心配ですね。そもそも、一日大人が遊んで「舟代2千円」が安過ぎませんか?物価や給料の上昇に沿っていれば、3千円でもおかしくないように思われます。
斉藤 そう仰っていただくのは嬉しく有難い。けれど、此処から近い、旭市が運営する長熊釣り堀センターは一日1千円、北浦渚が平日1千円・土日祝1.5千円。3千円にしたら誰も来ないでしょう。
本誌 確かに東京から横利根まで100キロ。首都高、京葉道路、東関東道、ガソリン代だけで往復7〜8千円掛かる。横利根がコスト的に辛い位置にあるのは確かで…私は靖国通り→水戸街道→利根川沿いの下道を使うことも多い。竿や浮子の釣り道具、交通費に比べて「舟代が安すぎる」と思います。しかし、此のアンバランスを果たして是正できるのか?悩みが深いです。
斉藤 東京からだと、西湖・精進湖と同じ距離ですね。
本誌 なにより舟を貸すだけでなく、放流を含めた釣り場保全のため、舟宿は頑張ってくださってる。私が日研に入った40年前、先輩に「横利根で3枚釣れれば一人前」と言われた。当時を思うと「夢のような釣果」は、ただただ放流のおかげです。
斉藤 昭和40年代の後半から放流が盛んになりました。
本誌 全放協の誕生が昭和47年です。ところで、横利根は漁業権がありません。放流の申請とか許可とかはあるのですか?
斉藤 昭和40年代でしたか、香取の漁業組合が横利根に漁業権を設置しようと試み、舟宿組合が県会議員を通じて反対運動を展開。日研も猛反対して潰れました。そのため、漁業権のある新利根川は放流の度に漁業組合に連絡していますが、横利根については許可も申請も連絡も取ったことがありません。
本誌 なるほど。事実上、舟宿が横利根をお世話しているのですね。日研は「横利根と共に歩んできた」と思います。すなわち「横利根の舟宿と共に歩んできた」と言えます。お話を伺って感謝と共に心配ばかりが湧いてきました。おそらく、横利根だけでなく、多くの舟宿に共通した課題でしょう。へら鮒釣り存続のため、舟宿は欠かせません。何時もなら「益々ご活躍ください」と締めるのですが、舟宿存続のため日研は如何すれば良いのか?今回はちょっと気が重いです。
 
広報部懇親釣会 2月20日(土)隼人大池
       天候:晴れ 参加:12名
【成 績】
優勝 植原 亨(岩井)    8.000kg
2位 北林 輝政(築地)   7.500kg
3位 成田 和也(浮藻)   6.000kg
4位 遠藤 克己(赤坂)   5.600kg
5位 石山 隆典(個人会員) 5.400kg
6位 藤井 義一(上野)   3.200kg
7位 高橋 健二(文京)   3.000kg
8位 本澤 大喜(青空一竿) 2.600kg
9位 吉田 信之(青空一竿) 2.500kg
10位 吉本 亜土(赤坂)   2.500kg
11位 高崎 稔弘(文京)   2.300kg
12位 高橋 毅武(大森)   1.000kg
 
企画部懇親釣会 2月11日(祝)真嶋園(浮き桟橋限定)
                                 参加:30名
成績表
順 位 氏 名 支部名 役職名 釣果(kg)
1 石崎 肇 浮藻 企画部部員 14.200
2 石山 隆典 個人会員 相談役 11.200
3 米林 明男 八王子 理事 10.800
4 遠藤 克己 赤坂 理事長 9.400
5 植原 亨 岩井 企画部部長 8.400
6 西宮 清 赤坂 企画部部員 8.200
7 寺嶋 経二 浦和 企画部副部長 7.600
8 坂巻 茂 東葛 企画部副部長 7.200
9 池田 隆司 取手 企画部部員 7.200
10 齋藤 丈二 千葉 企画部副部長 6.600
11 西宮 志津子 6.400
12 石合 定則 甲斐 特別会員 6.400
13 鈴木 義弘 草松 企画部副部長 6.200
14 井上 利夫 八王子 相談役 5.000
15 関 正一 千葉 企画部副部長 4.800
16 大木 宏二 池上 相談役 4.600
17 久保 達彦 新宿 企画部副部長 4.600
18 成田 和也 浮藻 副理事長 4.400
19 高柳 光雄 個人会員 企画部副部長 4.400
20 川島 利弘 上野 企画部副部長 4.000
21 北林 輝政 築地 総務部部長 4.000
22 高橋 信吾 若竹 相談役 4.000
23 数野 順久 甲斐 常任理事 3.600
24 吉田 信之 青空一竿 放流部副部長 3.600
25 櫻井 直樹 赤坂 企画部副部長 3.200
26 高野 一 甲府 相談役 3.000
27 藤井 義一 上野 放流部部長 3.000
28 吉本 亜土 赤坂 広報部部長 3.000
29 沢野 勝行 池上 企画部副部長 2.800
30 高橋 毅武 大森 経理部部長 2.000
 
放流部懇親釣会 1月11日(祝)大宮武蔵の池
                              参加:15名
順位 座席番号 氏名 支部名 釣果(kg) 枚数 最大重量(g)
1 105 成田 一也(G) 浮藻 7.85 14 685
2 111 中島 昌彦 彩北 6.24 10 870
3 8 遠藤 克己(G) 赤坂 4.61 8 739
4 112 植原 亨(G) 岩井 3.03 5 802
5 116 高柳 光雄(G) 個人会員 2.84 6 634
6 110 金子 義雄 久喜 1.73 3 660
7 108 酒造田 信義 千葉 1.23 2 679
8 113 新井 主衛 八街 1.21 2 613
9 109 北林 輝政(G) 築地 0.75 1 751
10 114 吉田 信之 青空一竿 0.42 1 419
               以上が釣果のあった方
 
イベント参加費の振込口座について
 大会参加費の振込先は下記の通りとなります
(ゆうちょ銀行)
(店番)〇一八(ゼロイチハチ)
(預金種目)普通預金
(口座番号)9324889 ニホンヘラブナツリケンキュウカイ
 
特報「三島湖 石井釣舟店」について
 長年お世話になっている石井釣舟店について「廃業するのでは」との噂が流れ、多くの釣り人たちが心配しています。今回、同店より下記の連絡を頂きました。
 廃業はしません。来客数が少ない中、バス釣りの客数がへら鮒釣りの客数を上回る現状を踏まえ、平成30年度より営業形態を変更して継続します。すなわち、例会だけでなく、個人客も「完全予約制」となります。事前に電話連絡のうえ、ご来店くださるようお願いします。
 もちろん、夏季大会の際は出舟の舟宿となります。
 なお、1月1日(月)〜1月3日(水)は休業します。
 平成30年度からは、電話予約をしないと…石井釣舟店は扉を閉めています。皆さま宜しくお願いします。
(総務部長:北林 輝政)
 
傷害保険加入のお知らせ
 日研本部では、今年度から中央の部の本部主催の釣りイベントに当日限りの傷害保険に加入することとなりました。
 対象期間はイベント当日の午前0時から午後12時までの24時間で、ドアtoドアノの釣行中の傷害のみ対象となります。
 対象者全員の氏名を後日、保険会社に届けなければならないため、早上がりをする場合は必ず検量カードに氏名を記載して、日研本部に提出してください。
死亡:50万円、入院日額:2,000円、通院日額:1,000円、手術入院時:20,000円、手術外来時:10,000円
連絡先:損害保険ジャパン日本興和株式会社 代理店 中澤 岳(090-3533-4086)
 
各支部・各地区の広報担当者へのお願い
 日研のホームページに掲載する記事の写真ですが、JPGをワード文章に貼ると、編集の
加工で画質が著しく悪くなりますので、ワード文章やエクセルシートに貼らずに、JPGの
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