日曜例会予定表(7月)
例会場所 第1(4日) 第2(11日) 第3(18日) 第4(25日)
朝日池 名古屋簓 福井明釣会 大聖寺 金沢
愛知峰春
鮎川湖 三山一竿 草松 大森
荒沼 仙台緑水 山形上山
粟原池 いわき
飯田沼釣公園 秋田千秋
池の前水上公園 北海道道北
五川目堤 三沢
大佐沢沼 秋田北水
大台堤 秋田雄湯郷 秋田中央
秋田みずも
秋田湯沢
大野台ハイランド沼 秋田鷹巣
奥山沼 山形長井中央
貝沼 秋田三輪
釜房湖 仙台まこも
神扇池 東葛
烏沼 秋田本荘
北浦渚 小見川 あずま
北上後堤 北上展勝 岩手盛岡
北上川 宮城とよま
鬼東沼 白河
福島あだたら
旧北上川 宮城小牛田
下条川ダム 三条 五泉 加茂 五泉
小貝川吉野 八千代
五町八幡池 名古屋絆
斉勝沼・月山池 宮城岩沼
西湖 川口真菰 成増 赤坂 新宿 文京
佐賀クリーク 九州福岡 博多
三名湖 長野中央 上福岡 北池 群馬邑楽 若竹
精進湖 浦和 北本 甲斐 川越 巽 甲府 立川 八王子
庄内川 九州直方
惣三郎沼 秋田千秋 秋田山本
谷養魚場 竜ヶ崎
田貫湖 静東 あゆみ 三河
田光沼・山田川 青森
筑後クリーク 筑後川
筑波湖 取手
筑波流源湖 松戸 浮藻 水舟
つつじ池 福井 福井北ノ庄
円良田湖 城南 鶴瀬 本庄
手代沼 秋田大舘 秋田鷹巣
戸面原ダム 青空一竿 利根
豊英湖 千葉
中川原公園沼 秋田大曲
中綱湖 上越 松本美鈴 松本葵
野木和湖 津軽 三沢木崎野
野守の池 野守 富士
聖湖 高岡
平筒沼 仙台明星
蛭沢湖 米沢 郡山中央
藤沼 北海道道北
北山湖 佐賀さかえ
前川ダム 山形銀友
山形飛びぬけ
前沢沖沼釣公園 岩手水沢 岩手江刺水沢中央
真垣池 福島一竿
間瀬湖 結城 群馬太田
松原湖 彩北
三島湖 八街 佐原
水沼ダム 福島原町
美鈴湖 松本拓水
みのわだ湖 錦水
門前の新堀 水無月会
やぶれ沼 秋田三輪
秋田静心
山手ダム 岡山
横利根川 大泉 水戸
六郷の池 新発田 三条 新発田
新津3H
和気の池 小松
 
日曜例会予定表(6月)
例会場所 第1(6日) 第2(13日) 第3(20日) 第4(27日)
赤祖父湖 福井北ノ庄 福井明釣会
朝日池 小松 福井
阿武隈川 宮城岩沼 仙台まこも
網道池 博多
鮎川湖 若竹
飯綱湖 上越
池の前水上公園沼 北海道道北
五川目堤 三沢
岩木川 青森 津軽
牛沼 秋田本荘
後堤 岩手水沢
岩手江刺
水沢中央
大佐沢沼 秋田湯沢 秋田中央
秋田みずも
秋田本荘
大台堤 秋田千秋
岡森堰 九州直方
貝沼 秋田静心
嘉瀬川 水無月会
門池 静東
河北潟 高岡
岩洞湖 岩手盛岡
北山の池 三条 加茂
下条川ダム 五泉
小貝川吉野 川口真菰 浮藻
五町八幡池 愛知峰春
小峰城お堀 郡山中央 白河
斉勝沼
斉勝沼・月山池 仙台明星 仙台明星
宮城小牛田
西湖 あゆみ 富士 大森
堺野沢溜池 青森
桜ヶ池 金沢
砂沼 鶴瀬
三川FP 名古屋絆
三名湖 群馬太田
群馬邑楽 本庄
三山一竿
椎の木湖 水舟
将監 竜ヶ崎
精進湖 松本葵 甲斐 青空一竿 水戸
地蔵沼 苫小牧釣遊会
清遊湖 佐原
惣三郎沼 秋田大舘 秋田山本
鷹巣中央公園 秋田中央
高梁川 岡山
筑後四ヶ所クリーク 九州福岡
千代田湖 甲府 八王子 新宿
筑波湖 東葛
筑波流源湖 千葉
つつじ池 名古屋簓 三河
道満河岸 北池
円良田湖 上福岡 彩北
戸面原ダム 亀有 巽 文京
豊英湖 松戸
中堤 秋田鷹巣
中綱湖 松本拓水
野守の池 野守
廻戸釣公園 北上展勝
花切川 三沢木崎野
原崎湖 山形飛びぬけ
東串川 福井 大聖寺
平筒沼 宮城阿武隈
日向神ダム 筑後川
ひょうたん池 山形長井中央
蛭沢湖 山形銀友
北山湖 佐賀さかえ
前川ダム 仙台緑水 山形上山 米沢
真嶋園
間瀬湖 城南 大泉 川越 草松
松原湖 長野中央
三島湖 北本 八街
美鈴湖 長野中央 松本葵
水沼ダム いわき 福島あだたら 福島原町
みのわだ湖 錦水 立川
やぶれ沼 秋田大曲 秋田北水
横利根川 小見川 利根 成増 赤坂 浦和 取手
八千代 結城
六郷の池 新津3H 新発田 上越 五泉
和気の池 高岡
和平沼 秋田雄湯郷
 
全放協令和元年度(第48期)
 zenhoukyo48.pdf へのリンク
 
「静岡県における放流バッジの価格について」


危機感がつのる
(1971年の日研ニュースより)




全放協の発足
(1972年の日研ニュースより)





横利根川への放流(2020年)
   静岡県の方から寄せられた質問にお答えします。
 まず、放流バッジを販売しているのは日研ではありません。「全日
本へら鮒放流協議会」です。
 1972年(昭和47年)の発足当時はアンチ日研の気風もあり、「他団体
の協力も得てへら鮒放流の裾野を広げる」ため、日研とは別組織とな
りました。但し現在、ボランティアとして放流にあたる人々の多くが
日研の会員でもあります。「全放協と日研との関係が分かりにくい」
との声は多く、将来的には両者の統合を目指しています。
 そして、放流バッジの販売価格は現在1,500円。昭和47年の販売開始
当時は1,000円でした。現在の物価に直すと3,000〜4,000円にあたるでし
ょう。「現在の価格は物価上昇に沿っていない」とも云えますね。放
流バッジ=放流への寄付であり、複数個を購入くださる方もいます。
 さて、へら鮒釣り人口が多い関東と異なり、へら鮒釣り人口の少な
い地域では、1個1,500円×販売個数では十分な放流量を確保できませ
ん。そのため、本来1個1,500円ではありますが、「協力をお願いす
る」形で、全放協の地区組織が独自に販売価格を上乗せしている地区
もあり…東海地区の「プラス500円」が此れにあたります。もちろん、
誰の収入にもなっていません。東海地区におけるへら鮒放流量の増加
につながっています。


 精進湖への放流(1973年)




  西湖への放流(1974年)
 
 「国内外来種だから駆除して良い」には全く法的根拠がありません
           日研理事長・遠藤 克己、同広報部長・吉本 亜土


愛知県 佐屋川




山梨県 西湖




北海道 砂取沼




新潟県 下条川ダム




静岡県 田貫湖




石川県 木場潟
   池の水を「かいぼり」するテレビ番組があります。番組の中でへら鮒は「国内外来種」と位置づけられ、駆除の対象となっています。これに対し「日研はテレビや議員に訴えるような行動を取っていない」との批判を頂き、日研ニュースや釣り雑誌で説明してきましたが、今も「何故?」との声が寄せられ…此の問題に関する皆さまの関心の深さを感じます。改めて説明させていただきます。

 まず、「国内外来種という名の生物は存在しない」「池に棲息する生物は地権者(池主)の所有物である。愛玩、食用、駆除、販売など全て地権者の自由である」。この2点を是非ご理解ください。その上で話を進めます。

 近年、山形県新庄市の最上公園の池、埼玉県上尾市の上尾丸山公園大池において、テレビ番組の撮影などを兼ねた大規模な「かいぼり」が実施されました。そして我がへら鮒は、鯉などと同様「国内外来種」として敵視され、駆除の対象となりました。へら鮒とへら鮒釣りを愛する人々の当惑は大きかった。但し、最初に記したように「へら鮒は法律で国内外来種と認定されているため駆除された」わけではありません。

 確かに国が2005年6月に施行した「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」(外来生物法)では、問題を引き起こす海外起源の外来生物を「特定外来生物」として指定。その飼養、栽培、保管、運搬、輸入といった取り扱いを規制し、特定外来生物の防除などを行うことを条文化しています。しかし「国内外来種を規制する」とは一言も記されていない。環境省は特定外来生物の指定予備群として「生態系被害防止外来種リスト」を作成しており、「国内由来の外来種」も対象にはなっていますが、鯉もへら鮒(ゲンゴロウブナ)も当該リストには載っていないのです。当然、琵琶湖から全国へ放流されるアユも載っていません。では何故、テレビに出演する自称専門家が言いたい放題なのか?

 それは、その水域には地権者(池主)がいて、水域に棲息する魚類について「地権者(山形県、埼玉県の場合は市)に所有権がある」と認識されるためです。難癖つけて駆除しようが食用にしようが、遣憾ながら基本的に「所有する者の自由」と解釈されるのです。我々が救ってくれと懇願しても、他人のモノをどうすることもできません。逆に、皆さまが鯉の養魚池を持っていたとしましょう。此の池の鯉を自由に食べたり売ったり出来るのも、池主=鯉の所有者という認識があるおかげ。もし此の認識が認められなければ…鯉を眺め、時に麩も与えている近所の人が現れ「私にとって心の安らぎです。獲らないで欲しい」となりかねません。お分かりでしょうか。

 ゆえに山形県のケースでは、「最上公園へら鮒愛好会」が中心となって陳情した結果、以前から行政の許可を得てへら鮒を放流してきた側の所有権が認められ、テレビ取材のかいぼり時は一時的にヘラブナを別の場所に移し、終了後に再度許可を得て原状回復したのです。しかし、そのような事実は恣意的なテレビ番組では当然説明されません。 
 同じようなケースは九州の名釣り場・北山ダムにおいても起こりました。ダムゲートの補修および湖岸の補強工事に伴う「ダムのかいぼり」に対応し、長年にわたる放流実績を認めた九州農政局はダム上流に「へら鮒避難池」を造り、へら鮒を保護してくれたのです。これに対し埼玉県の例では、遺憾ながら我々も協力した署名運動の甲斐もなく、へら鮒は駆除されてしまいました。しかし、此れは「国内外来種だから」ではありません。池主である市の方針のため、また放流実績も認められなかったため、我々は引き下がるしか術がなかったのです。

 ご理解いただけたでしょうか。そして「放流は不安定な土台の上に成り立っている」と気づかれたと思います。此れまでへら鮒が護られたのは「放流実績が認められたから」。逆に「放流を認めれば、何かあった時、ギャーギャー言われて工事が進まないかもしれない。ならば放流など認めない方が良いかもしれない」となる危険もあるのです。そのため、へら鮒を護った人々は当局と細心の注意を払って交渉にあたりました。これからも地域の観光および経済の振興にも役立つ放流が続けられるよう、私たちは池や川の管理者との関係を密に保たなくてはなりません。

 これらの活動で我々日研が頼りにしている組織は、「公益財団法人 日本釣振興会」(通称・日釣振)です。同会とは、ブラックバス問題で利害が一致しなかった時期もありましたが、現在は国内外来種問題などで歩調を合わせて活動を展開しています。日釣振は国会議員などで構成される「釣魚議員連盟」とも関係が深く、社会的な影響力も充分です。皆さまも日研や日釣振の会員に登録し、社会的活動に積極的にご参加ください。宜しくお願い申し上げます。

 
シリーズ「この人に聞く」第85回
               中島屋 斉藤 輝雄 氏


中島屋主人 斉藤 輝雄 氏




昭和20年代、横利根川と繋がっ
ていた「川脇の内川」で釣る
土肥 伸




舟の並ぶ横利根川
(へら鮒 昭和43年11月号)




早春の横利根川
日研機関紙「はねうき」
昭和47年

   昭和25年の創立以来、日研と横利根の関係は極めて深いものがあります。なにより昭和18年、土肥伸が大阪から横利根の川脇へ移住したことが、関東におけるへら鮒釣り発展の基礎となりました。釣舟組合の組合長を務める斉藤輝雄氏にお話を伺います。

本誌 大会で例会で、お世話になっています。ありがとうございます。まず、お生まれをお聞かせください。
斉藤 昭和21年11月9日。佐原生まれの佐原育ちです。
本誌 初めての魚釣りは?
斉藤 子供の頃、藪の篠竹を切った竿にミミズをつけてのマブナ釣り。釣り場は近所の水路でした。
本誌 「水郷」という言葉どおり、当時は水路が沢山あったのですか?
斉藤 あったどころか、当時は水路が道路。今は中島屋の中華料理店になっている場所からバイパスを越えて、我が家の田圃の方まで水路が伸びてました。
本誌 此の辺りも、水郷のイメージどおりの景色だったのですね。
斉藤 そうです。道は精々自転車が通れる程度で…田圃に行くのは水路、収穫した米を運ぶのも水路。中島屋の前には現在の県道が走っていたけれど、当時は砂利や石ころだらけの道でした。あの幅広のバイパスが出来たのは耕地整理が終わった後、昭和50年代半ばです。
本誌 中島屋(茨城県)の、横利根を挟んだ対岸(千葉県)もですか?
斉藤 もちろん。中島屋対岸のポイント「荒河吐き出し」は、埋め立てられた荒河川の跡。此の水路を通って、中島屋から丸江湖や与田浦へ往復していたのです。
本誌 昔は船頭さんが案内したと聞きます。
斉藤 農閑期になると、近所の30人ほどが舟と共に中島屋に手伝いにきました。釣り客1〜2人を乗せ、寒い時期なので炬燵も舟に積み、水棹を操って連れて行く。昭和20年代は竿2〜3本並べてのマブナ釣りが主流でした。 
本誌 日研誕生が昭和25年。へら鮒釣りは始まったばかりですね。となると、斉藤さんは土肥伸や小林隆夫は覚えておられない。
斉藤 残念ながら記憶にありません。日研で云えば、米地南嶺さんや山口幸司郎さんからです。
本誌 釣り人を乗せた舟は、元々農業用の舟なのですね。当時の写真を見ると、牛まで運んでいます。
斉藤 そう、米俵なら14〜15俵は載る舟。私も父を手伝い、中島屋の本家から借りた牛と一緒に舟で田圃へ通ってた。当時、ワラを切って牛にエサをやるのは子どもの仕事。本家は軍馬のエサになる秣(まぐさ)も作っていて、此処から利根川経由で東京へ送ってました。 
本誌 斉藤さんは子どもの頃から水棹が使えたのですか?
斉藤 もちろん。今でもやれば出来ますよ。
本誌 中島屋が旅館を始めたのは何時頃ですか?
斉藤 当時、東京からの日帰りは無理。小学生の頃、既に旅館業の許可を取って釣り客を泊めていた。丁度、東京から竜ケ崎、新利根川、上の島新川経由で来る釣りバスの終点が中島屋で…繁盛しました。
本誌 では、当時から沢山の舟を持っていた。
斉藤 いや、子どもの頃、中島屋として持っていた舟は10杯もありません。先ほど話したように、近所の人が舟と共に船頭としてやってくる。空いてる舟だけ借りることもありました。当時は今のような簡単なカッパギ(角棒の両端に板を付けた、舟の推進具)はなく、釣り人が自分で水棹を操る。船頭つきも船頭なしも、舟は近所から借りてくる方が多かったです。
本誌 「昔の人は先ず櫓と水棹の扱いを学んだ」と聞きますね。ところで、中島屋は「ダンゴ屋」とも呼ばれますが、斉藤さんにとってダンゴの記憶は?
斉藤 実はダンゴを売っていた記憶はありません。食堂の左奥、玄関のある場所(大会の度、企画部が検量カードを集計する場所)でダンゴを焼いていたようですが、私が小学校の頃にはやめてました。
本誌 ところで、フィクサーとして知られ、釣りも好きだった児玉誉士夫の随想「生ぐさ太公望」に中島屋が出てきます。夕食にナマズ鍋が供され、珍しく釣り客ならぬアベックが泊まり合わせて家が揺れ…翌朝「ナマズなど食うから地震が起きただべ」というオチなのですが、ナマズ鍋は覚えておられますか?
斉藤 覚えています。ナマズの肉、焼いたナマズの皮、鶏の挽肉の団子と野菜を味噌で煮込んだ鍋。
本誌 当時は七輪ですか?
斉藤 そうです。
本誌 風情ありますね。
斉藤 けれど、鍋より蒲焼きの方が多かった。ウナギは当時も高かったので、ナマズなんです。川魚屋から仕入れ、食堂から真っすぐ川へ出て左10mの所にあった生簀に泳がせてました。
本誌 河畔の宿でナマズ。いいですね。ところで昭和40年代、横利根は大人気で…寒べらのシーズン、すなわち真冬でも夜中の12時前に出舟しちゃったと聞きます。大変だったでしょう。
斉藤 例会のバスが着くと、貸し出しの豆炭アンカと毛布を積み、ポイント確保のため次々出舟。
本誌 今ほど防寒着も発達していない時代、アンカと毛布で夜明けを待つ。しかも当時は「横利根が凍った」と聞きます。昔の人はエラカッタと云う他ありません。事故は起こらなかったのですか?
斉藤 落ちた人は結構います。けれど幸い「水に落ちて水死」という記憶は今に至るまでない。船から上がった後の脳梗塞や心筋梗塞はありますが…。
本誌 此れを言うと皆から怒られるんですけど、私「死んで落ちる人はいても、落ちて死ぬ人はいない」と思ってる。但し、水から上がれずに死ぬリスクは極めて高い。何年か前の団体ベストファイブ戦で中島屋対岸に舟をとめ、魚に持っていかれた竿を追いかけて前から落ち、駆け付けた斉藤さんに助けていただきました。
斉藤 よく覚えています。
本誌 あの時、9月初めの軽装だったけれど、コンクリ護岸へ全く上がれなかった。斉藤さんにようやく引っ張り上げていただいた。崖に両手を掛けて身体を持ち上げるなんて…映画の世界です。
斉藤 そう、あの高さがあると護岸は上がれません。
本誌 ボートだって、水中から船べりに手を掛けて上がるのは難しいでしょう。だからこそ、助けてもらうまでの時間稼ぎとしてライフジャケットは絶対必要。私、声は枯れちゃうので、必ず呼子(ホイッスル)を持ってます。映画「タイタニック」の女の子も最後、呼子のおかげで助かったでしょ。
斉藤 ダウンジャケットも、空気が入ってるから暫くは浮いてると思うけど。
本誌 やがて水が浸みたら、余計に重くなるでしょう。いよいよ上がれない。横利根なら誰かが助けてくれる可能性が高いけど、寒い時期、三島湖や豊英湖などの奥、誰もいない場所で釣るのは危険だと思います。さて、昭和40年代の混雑…源義経の八艘飛びみたいに、水上を舟から舟へ移動できそうな写真が有名ですが、中島屋は如何でしたか?
斉藤 日曜日など、近所のおばさん2人に手伝ってもらい、朝ご飯と昼の弁当用に、お米を2斗(36リットル、約30キロ)炊いてました。夜中に着いた釣りバスから降りた人が朝ご飯を食べ、昼の弁当を持って出舟していく。寝るヒマなどありません。殆ど徹夜でした。
本誌 2斗ですか!オカズは?
斉藤 朝ごはんは海苔、玉子、納豆、お新香に味噌汁。今と同じですね。昼の弁当は、持ちが良いので塩ジャケ。
本誌 商売繁盛とはいえ大変でしたね。出舟時間が決まったのは何時頃ですか?
斉藤 昭和40年代の後半じゃないかと思います。
本誌 当時、中島屋の舟の数は?
斉藤 自前の舟が100杯ちょっと。冬場は与田浦のはなわから30杯借りてきて130杯。逆に春先は与田浦が忙しくなるので、中島屋からはなわに舟を貸していました。
本誌 はなわ。関べらの和田敬造会長が応援した舟宿ですね。ところで当時、横利根全体で舟宿は幾つあったのですか?
斉藤 下流から平野、中島屋、小松屋、寺島、利根食堂、堀井、黒田、西代のT字路のところに根本、西代屋(へら鮒社の創業者、根本良一氏の実家)、水郷館、高橋、サトー、一竿、柳町。
本誌 二七屋とあづまは?
斉藤 2軒は其の後に生まれました。他に小松屋の対岸に、組合には入ってないけれど舟を貸していた岩井があった。中島屋以外は左程の舟数ではなかったため、全体では500杯程だったでしょう。
本誌 現在の4倍ですね。宿泊は?
斉藤 旅館業の許可を取っていたのは中島屋と小松屋。但し、部屋がある所は懇意にしている釣客を民宿のように泊めていた。近所の農家も泊めてました。
本誌 貸舟と宿泊、大賑わいだったことが分かります。それが今…秋季大会翌日の11月9日(月)、小松屋から出舟して小松屋上流の最初の鉄ピン、すなわち前日の優勝ポイントを目指したら、釣客は私一人。他に中島屋から関べらの人が出ていて、合わせて二人。平日とはいえ、放流日翌々日で浮子は動きっぱなし。楽しい釣りが出来ることが分かっているのに二人。胸が痛みます。
斉藤 そう、平日は誰も来ない日もある。
本誌 水棹が苦手という人が増えているのでしょうか?後ろに綺麗にハの字にとめるのは無理でも、地底の軟らかい舟の前に刺せば、私でもなんとかなるのに…。それでいて、陸釣は賑わっている。
斉藤 陸釣の人たちは舟に乗りません。
本誌 そう、大会や例会でお世話になっているので、横利根へ行ったら「舟に乗る」のがマナーだと思ってます。
斉藤 ありがとうございます。確かに、舟宿が交代で陸釣の人から放流協賛金300円を集めているけど、日研の人は見かけない。「この人ウチから出たことある」という人も見かけない。舟と陸では世界が違うような気がする。
本誌 気を遣ってるのは私一人じゃないんだ。
斉藤 護岸が出来てからへら鮒釣りを始めた。そんな人も多いような気がします。毎日来る人も珍しくありません。
本誌 なるほど。年金生活の楽しみに「横利根で陸釣」の人も多いのですね。そうなると、2千円の舟代でも確かに負担を感じるでしょう。とはいえ、中には支払いに抵抗する人もいて…大変と伺っています。
斉藤 国交省に「川の鉄ピンを抜くべし、ロープを外すべし」と訴える方もいます。
本誌 あれは何のためなのですか?
斉藤 「此処から沖へ舟をとめないでください」の目安です。
本誌 私、鉄ピンは水棹の補助、ロープは陸釣除けと思ってました。
斉藤 そうではありません。昔は土砂を運ぶ船や台船が多く、乱暴な運転をするケースも見られ、沖へ舟をとめると危険だった。そのため、国交省に届けたうえで、舟宿が自費で鉄ピンとロープを整備したのです。
本誌 初めて知りました。危険防止だったのですか!
斉藤 緩んでいる箇所もあるため、陸釣除けと思われたかもしれません。中島屋周辺はロープが緩む度に私が張り直し、ロープづけで舟がとまるようにしていました。
本誌 一日遊んで300円。放流資金になるのだし、気持よく払った方が楽しいと思うけど…。
斉藤 そういう人ばかりだと良いのですが…。漁業権がないため、あくまで協力金。強制力はありません。
本誌 その300円。釣れる横利根の元「仕切り網」にも使われるのでしょう。
斉藤 そのとおり。但し、組合として仕切り網の維持が難しくなり、来年5月で撤去となります。
本誌 仕切り網には感謝しています。出来る前と出来た後、釣果は明らかに違う。どのような経緯で生まれたのですか?
斉藤 「折角放流したへら鮒が逃げ出しては、横利根が釣れなくなる。それでは舟宿の生活が成り立たない。よって仕切り網で魚の逃走を防ぎたい」と…昭和60年頃でしょうか、衆議院や県議会の先生方を通じてお願いしたのです。
本誌 よく認められましたね!
斉藤 「生活のため」が大きかったのでしょう。最初は放流の11月から3月いっぱいまで。後に通年。潮来にある国交省の工事事務所から臨時の認可となっていて…3カ月に一度、平野さんが更新に行ってくれてます。
本誌 仕切り網、効果ありましたね。
斉藤 張る前は、冬になると魚が第二大曲の深場へ集結していた。
本誌 場所の取り合いが激しく、好ポイントの目印のゴミ箱を「勝手に動かした」という話を聞いたこともあります。
斉藤 その集結を避けるため、深場の手前に仕切り網を張ったのです。
本誌 臨時の許可を更新となると…5月に撤去されたら、二度と張れませんね。
斉藤 残念ながら其のとおり。とはいえ、5月に高橋三男さんが亡くなって舟宿あづまが廃業し、残ったのは平野、中島屋、小松屋、堀井の4軒。高橋さんが亡くなるまで、日曜日はお客が来るので組合でアルバイト(一日5千円で釣り好きの人が協力。仕切り網の近くで陸釣する傍ら、船が来ると仕切り網を上げる)を頼み、残り月曜〜土曜の6日間を5軒の舟宿で回していました。けれど、あづまが廃業した現在「6日間を4軒」では回しきれないのです。といって、一日5千円でアルバイトを頼むのは資金的に難しい。撤去以外に道はありませんでした。
本誌 舟宿が沢山あり、横利根が500杯の舟で賑わっていた頃より、現在の方が「数も型も釣れている」のに…残念でなりません。仕切り網撤去となると、陸釣から頂く放流協力金がドウナルカも心配です。とはいえ、仕切り網協力金ではありませんでした。放流に充てられるのだから、仕切り網が撤去されても「放流に協力をお願いします」と徴収可能なのではありませんか?
斉藤 舟宿組合で話し合っているところです。確かに今後が心配。但し、昔と違う点があります。
本誌 それは?
斉藤 護岸の下にテトラが入っていること。昔はオダが所々ある程度で、魚の付き場がなかった。そのため、春先になると北利根や霞ケ浦へ出ていった。今はテトラがあるため「全部が全部行かないのでは」と期待しています。
本誌 カサゴ釣りみたいですね。私もテトラの威力に期待したいと思います。ところで、横利根の舟宿は現在4軒。後継者も含めて今後が心配でならない。なにより、舟宿だけでは生活が成り立たないのではありませんか?
斉藤 そのとおりです。今の時代、舟宿だけでは生活が難しいため廃業となる。中島屋でも50杯の舟が出払うことは、ここ何年ありません。例会の入る日曜日でも20〜30人。8月から放流前の釣れない時期は、例会も殆ど組まれない。吉本さんが経験されたように、放流の翌々日でも一人ですから、平日はゼロが珍しくない。もちろん、風や雨だと例会以外は来ない。
本誌 私はよく「例会じゃなきゃ行かない日」という言葉を使いますが、舟宿にとって天気は重大事です。
斉藤 舟宿だけでの生活は難しい。中島屋も中華料理店があるから、今はコロナで大変だけど、なんとか持っている。現状「年金プラス舟宿」の隠居商売でないと無理でしょう。
本誌 日研は此れまで舟宿にお世話になってきました。理事長の遠藤も「舟宿を守る責任がある」と言っている。なにより、横利根の舟数は現在120杯ほど。これ以上舟宿がなくなったら…農水杯はじめ日研の行事が難しくなるのです。
斉藤 後継者が居るか居ないかも大きい。水郷館もあれだけ曳舟で行くのだから、今やってれば「一番良かったのでは」と思うけど、後継者の問題から廃業してしまわれました。
本誌 残念でなりません。他の舟宿も心配ですね。そもそも、一日大人が遊んで「舟代2千円」が安過ぎませんか?物価や給料の上昇に沿っていれば、3千円でもおかしくないように思われます。
斉藤 そう仰っていただくのは嬉しく有難い。けれど、此処から近い、旭市が運営する長熊釣り堀センターは一日1千円、北浦渚が平日1千円・土日祝1.5千円。3千円にしたら誰も来ないでしょう。
本誌 確かに東京から横利根まで100キロ。首都高、京葉道路、東関東道、ガソリン代だけで往復7〜8千円掛かる。横利根がコスト的に辛い位置にあるのは確かで…私は靖国通り→水戸街道→利根川沿いの下道を使うことも多い。竿や浮子の釣り道具、交通費に比べて「舟代が安すぎる」と思います。しかし、此のアンバランスを果たして是正できるのか?悩みが深いです。
斉藤 東京からだと、西湖・精進湖と同じ距離ですね。
本誌 なにより舟を貸すだけでなく、放流を含めた釣り場保全のため、舟宿は頑張ってくださってる。私が日研に入った40年前、先輩に「横利根で3枚釣れれば一人前」と言われた。当時を思うと「夢のような釣果」は、ただただ放流のおかげです。
斉藤 昭和40年代の後半から放流が盛んになりました。
本誌 全放協の誕生が昭和47年です。ところで、横利根は漁業権がありません。放流の申請とか許可とかはあるのですか?
斉藤 昭和40年代でしたか、香取の漁業組合が横利根に漁業権を設置しようと試み、舟宿組合が県会議員を通じて反対運動を展開。日研も猛反対して潰れました。そのため、漁業権のある新利根川は放流の度に漁業組合に連絡していますが、横利根については許可も申請も連絡も取ったことがありません。
本誌 なるほど。事実上、舟宿が横利根をお世話しているのですね。日研は「横利根と共に歩んできた」と思います。すなわち「横利根の舟宿と共に歩んできた」と言えます。お話を伺って感謝と共に心配ばかりが湧いてきました。おそらく、横利根だけでなく、多くの舟宿に共通した課題でしょう。へら鮒釣り存続のため、舟宿は欠かせません。何時もなら「益々ご活躍ください」と締めるのですが、舟宿存続のため日研は如何すれば良いのか?今回はちょっと気が重いです。
 
広報部懇親釣会 2月20日(土)隼人大池
       天候:晴れ 参加:12名
【成 績】
優勝 植原 亨(岩井)    8.000kg
2位 北林 輝政(築地)   7.500kg
3位 成田 和也(浮藻)   6.000kg
4位 遠藤 克己(赤坂)   5.600kg
5位 石山 隆典(個人会員) 5.400kg
6位 藤井 義一(上野)   3.200kg
7位 高橋 健二(文京)   3.000kg
8位 本澤 大喜(青空一竿) 2.600kg
9位 吉田 信之(青空一竿) 2.500kg
10位 吉本 亜土(赤坂)   2.500kg
11位 高崎 稔弘(文京)   2.300kg
12位 高橋 毅武(大森)   1.000kg
 
企画部懇親釣会 2月11日(祝)真嶋園(浮き桟橋限定)
                                 参加:30名
成績表
順 位 氏 名 支部名 役職名 釣果(kg)
1 石崎 肇 浮藻 企画部部員 14.200
2 石山 隆典 個人会員 相談役 11.200
3 米林 明男 八王子 理事 10.800
4 遠藤 克己 赤坂 理事長 9.400
5 植原 亨 岩井 企画部部長 8.400
6 西宮 清 赤坂 企画部部員 8.200
7 寺嶋 経二 浦和 企画部副部長 7.600
8 坂巻 茂 東葛 企画部副部長 7.200
9 池田 隆司 取手 企画部部員 7.200
10 齋藤 丈二 千葉 企画部副部長 6.600
11 西宮 志津子 6.400
12 石合 定則 甲斐 特別会員 6.400
13 鈴木 義弘 草松 企画部副部長 6.200
14 井上 利夫 八王子 相談役 5.000
15 関 正一 千葉 企画部副部長 4.800
16 大木 宏二 池上 相談役 4.600
17 久保 達彦 新宿 企画部副部長 4.600
18 成田 和也 浮藻 副理事長 4.400
19 高柳 光雄 個人会員 企画部副部長 4.400
20 川島 利弘 上野 企画部副部長 4.000
21 北林 輝政 築地 総務部部長 4.000
22 高橋 信吾 若竹 相談役 4.000
23 数野 順久 甲斐 常任理事 3.600
24 吉田 信之 青空一竿 放流部副部長 3.600
25 櫻井 直樹 赤坂 企画部副部長 3.200
26 高野 一 甲府 相談役 3.000
27 藤井 義一 上野 放流部部長 3.000
28 吉本 亜土 赤坂 広報部部長 3.000
29 沢野 勝行 池上 企画部副部長 2.800
30 高橋 毅武 大森 経理部部長 2.000
 
放流部懇親釣会 1月11日(祝)大宮武蔵の池
                              参加:15名
順位 座席番号 氏名 支部名 釣果(kg) 枚数 最大重量(g)
1 105 成田 一也(G) 浮藻 7.85 14 685
2 111 中島 昌彦 彩北 6.24 10 870
3 8 遠藤 克己(G) 赤坂 4.61 8 739
4 112 植原 亨(G) 岩井 3.03 5 802
5 116 高柳 光雄(G) 個人会員 2.84 6 634
6 110 金子 義雄 久喜 1.73 3 660
7 108 酒造田 信義 千葉 1.23 2 679
8 113 新井 主衛 八街 1.21 2 613
9 109 北林 輝政(G) 築地 0.75 1 751
10 114 吉田 信之 青空一竿 0.42 1 419
               以上が釣果のあった方
 
イベント参加費の振込口座について
 大会参加費の振込先は下記の通りとなります
(ゆうちょ銀行)
(店番)〇一八(ゼロイチハチ)
(預金種目)普通預金
(口座番号)9324889 ニホンヘラブナツリケンキュウカイ
 
令和3年(第50期)放流協賛金(放流バッジ)のお願い
 昨年度は、10月11日(日)の北海道地区を皮切りに、12月23日(水)の朝日池まで、全放協分9,389kg、全放協委託分39,096kg、日研分2,970kg、日研委託分8,556kgの合計60,011kgを全国の湖沼および管理釣り場に放流しました。
 なお、放流バッジ郵送時に協賛金の振込口座を指定した用紙を同封しますので、放流バッジが手元に届いてからの振込をお願いします。

放流協賛金(放流バッジ)1個:1,500円

申込先:全日本へら鮒放流協議会 〒135-0004 東京都江東区森下1−18−7
                              日修ビル2F
TEL:03-3846-5077 FAX:03-3846-5113
E-mail:zimukyoku@nikken-web.net
必要記載事項:氏名、郵便番号、住所、電話番号(携帯)、必要個数
 
特報「三島湖 石井釣舟店」について
 長年お世話になっている石井釣舟店について「廃業するのでは」との噂が流れ、多くの釣り人たちが心配しています。今回、同店より下記の連絡を頂きました。
 廃業はしません。来客数が少ない中、バス釣りの客数がへら鮒釣りの客数を上回る現状を踏まえ、平成30年度より営業形態を変更して継続します。すなわち、例会だけでなく、個人客も「完全予約制」となります。事前に電話連絡のうえ、ご来店くださるようお願いします。
 もちろん、夏季大会の際は出舟の舟宿となります。
 なお、1月1日(月)〜1月3日(水)は休業します。
 平成30年度からは、電話予約をしないと…石井釣舟店は扉を閉めています。皆さま宜しくお願いします。
(総務部長:北林 輝政)
 
傷害保険加入のお知らせ
 日研本部では、今年度から中央の部の本部主催の釣りイベントに当日限りの傷害保険に加入することとなりました。
 対象期間はイベント当日の午前0時から午後12時までの24時間で、ドアtoドアノの釣行中の傷害のみ対象となります。
 対象者全員の氏名を後日、保険会社に届けなければならないため、早上がりをする場合は必ず検量カードに氏名を記載して、日研本部に提出してください。
死亡:50万円、入院日額:2,000円、通院日額:1,000円、手術入院時:20,000円、手術外来時:10,000円
連絡先:損害保険ジャパン日本興和株式会社 代理店 中澤 岳(090-3533-4086)
 
各支部・各地区の広報担当者へのお願い
 日研のホームページに掲載する記事の写真ですが、JPGをワード文章に貼ると、編集の
加工で画質が著しく悪くなりますので、ワード文章やエクセルシートに貼らずに、JPGの
ままメールの添付ファイルとして送付してください。よろしくお願いします。
 なお、文章はエクセルではなくワードでお願いします。(エクセルは変換が大変です。)