令和4年度団体ベストファイブ戦ご案内
期  日:令和4年9月4日(第1日曜日)
場  所:横利根川(ベロ〜旧仕切り網)全員舟釣
参 加 費:1支部5人15,000円(当日本部にて申し受けいたします)
申し込み:日研名簿の申込書に支部名を記入の上、「郵送、FAXあるいはメール」にて8月12日(金)必着
     で申し込みの事、舟数に限りがありますので先着順にて申し込みを締切させて頂きます。出場でき
     ない支部が出た場合は通知致します。早めにお申込み下さい。
     尚申し込み後のキャンセルは認めません。
注  意:1チーム選手5名です、各支部とも2チームまでエントリ―可能です。
     尚、参加支部多数の場合は22チームを限度とします。
       また、支部優先とする為2チームエントリー支部は先着順とします。
申込み先:〒135-0004 東京都江東区森下1-18-7 日本へら鮒釣研究会 企画部長 植原 亨 宛
     FAX:03-3846-5113 E-mail:zimukyoku@nikken-web.net
大会本部:中島屋 各支部共全員集合のこと。
舟  宿:各支部とも平野(1名)・中島屋(1名、1名曳舟)・小松屋(1名)・堀井(1名)
範  囲:平野(ベロ〜水道管)・中島屋(水道管〜中島屋赤旗、曳舟者:堀井赤旗〜旧仕切り網先赤旗)・
     小松屋(中島屋赤旗〜小松屋赤旗)・堀井(小松屋赤旗〜堀井赤旗)
集  合:本部 中島屋 午前4時
出  舟:午前5時 各舟宿より出舟、企画部の指示による。
対 象 魚:日研競技規定による、15p以上の全重量。

検量方法:各舟宿の竿頭を100点と定め(中島屋は直接出舟、曳舟それぞれ)、以下釣果に応じた点数を
     配分。その合計で順位を決定します。
検量場所:出舟した舟宿にて検量の事。曳舟者のみ旧水郷館にて検量。
検量締切:午後2時・検量後本部中島屋に集合。
【注意】:各出場選手は必ず黄色旗又は黄色腕章を持参のこと。(腕章は当日1個300円で購入できます。)
     駐車等各注意事項は、当日本部役員の指示による。
 
シリーズ「この人に聞く」第93回 こま鳥 山上寛恭氏
↑ イタリアの雑誌に「こま鳥」の竿が フェラガモやグッチと並ぶ世界の一流品として紹介された。
 


こま鳥 山上寛恭氏




こま鳥の少年時代
父(山上政信)の愛犬と


「初代こま鳥」コレクション



初期の竿
仲間内では 政信でなく
「高司さん」と呼ばれていた




白浪 替え握りつき




こま鳥 珍竹
横書きである




こま鳥 雪月花
同じく横書き





山彦一門と取引のあった
谷山商事の旅行会にて 
父 山上政信(初代こま鳥)



   令和2年の秋、瑞宝単光章受章、和歌山県名匠受賞。令和3年11月、橋本市において記念祝賀会が開かれた山上寛恭(やまうえひろやす)氏(竿銘:こま鳥)の登場です。本年5月には野田幸手園において叙勲記念つり大会も開かれ、其の収益の一部を放流資金として全日本へら鮒放流協議会(全放協)へご寄付くださいました。心より感謝申し上げます。
(聞き手:広報部 吉本亜土)

本誌 改めておめでとうございます。来る途中、南海電車のターミナル、なんば駅の巨大スクリーンにこま鳥さんの姿が映っていて驚きました。
山上 和歌山県や橋本市のサポートで、製竿組合の画像広告を出してくださっています。
本誌 確かに、紀州のへら竿は和歌山県を代表する伝統産業。業界を代表する人として、勲章および名匠の称号が贈られたわけですが、どのような過程を経て晴れの受賞へ至ったのですか?興味があります。
山上 まず、一昨年の令和2年、和歌山県から「名匠審査のため、8月に仕事場へ7〜8人で伺いたい」という連絡がありました。
本誌 県からいきなり?
山上 工芸、歴史など各界の専門家がやってきました。
本誌 横綱審議会みたいなものでしょうか。
山上 へら竿を知らない方々ですから、へら鮒釣りの説明に続いて竹竿の魅力を話しました。名匠の内定通知は9月1日。県の文化部から「誰にも言わないでください」と電話がありました。昭和49年の源竿師から、げてさく、山彦、魚集、至峰と続き、私で6人目。和歌山県には橋本市を通じて「製竿組合が内緒で推薦していた」のでしょう。
本誌 すると今回も?
山上 令和元年に亡くなった玉成(川崎幹生)が組合長の時に推薦してくれたのかな。感謝しています。10月末、橋本市長と一緒に県庁へ行って、県知事から表彰を受けました。
本誌 そして勲章。
山上 此れには驚いた。全く予想していなかったのです。
本誌 どのような形で連絡が来るのですか?
山上 名匠内定後の9月15日、製竿組合が運営する釣り池「隠れ谷」へ(財)伝統的工芸品産業振興協会を通じて経産省からファックスが入りました。
本誌 え!
山上 名匠審査の過程で、隠れ谷のファックス番号が記されていたのでしょう。名匠の時と同じく「内定です、内密に願います」とありました。
本誌 管理人さんは驚いたでしょう。
山上 そして、一月半後の11月3日に公式発表。
本誌 毎年、新聞に勲章、人名、肩書がずらりと並んでる。内密とはいえ、新聞社にはデータが渡っているのですね。
山上 でしょうね。そして、11月3日の公式発表前に、勲記を収める額縁や受章記念品を勧めるDMが沢山送られてきた。
本誌 関係業界も知っている!
山上 その中で額縁を選び、祝賀会に集まってくださったメンバーからお祝いとして頂くことにしました。
本誌 会場正面に飾られていた勲記の額ですね。ところで、勲章はどのような形で手元に来るのですか?
山上 本来なら経産省における伝達式で勲章を頂いた後、皇居で拝謁式そして記念撮影となります。
本誌 毎年文化勲章受章者の写真が新聞に載ってる。受章者は全員が撮影対象なのですね。
山上 そうです。どんどん撮っていきます。ところが、コロナで全てダメになっちゃった。
本誌 となると…
山上 橋本市の部長と製竿組合の組合長(瑞雲:米田 護)が家へ届けてくれた。
本誌 名匠が知事で勲章が部長、しかも家へ配達ですか!
山上 コロナ禍の中での勲章伝達。初めてのことばかりで全員が戸惑っていました。加えて、皇居での写真撮影もコロナのため延期に次ぐ延期。私の令和2年秋に続いて令和3年の春と秋の叙勲があり、撮影対象者はどんどん積み重なっているから、今後どうなることやら。
本誌 奥さまと並んで皇居で写真撮影。実現するといいですね。
山上 それでも、勲章を見ると実感が湧きます。
本誌 月並みな質問ですが、勲章を頂いての感想は?
山上 此れまでの努力が認められたこと、紀州へら竿が評価されたことが嬉しい。なにより、製竿組合の皆様のおかげ。全ては組合ありきです。
本誌 では、受章へ至るこま鳥さんの道程を伺いたいと思います。まずお生まれは?
山上 昭和27年3月。此の橋本で生まれました。父は初代こま鳥(山上政信)。
本誌 名人と呼ばれた人。日研理事長も務めた渡辺紀行の大著「紀州のへら竿師」に「人柄の良さと才能あふれる竿師であった」「試行錯誤しながら探求の道を彷徨する、いわばアーティストのタイプであった」と記されています。
山上 優しかった。けど、アーティストと言われると…。決して器用ではなかったな。
本誌 そして、お父様の元へ。
山上 昭和45年3月、高校を卒業。18歳で父に入門しました。
本誌 仕事の面でも優しかったですか?
山上 可能な限り正確を心掛けていました。そして温厚。兄弟子にあたる一心竹も私も怒られたことがない。それだけに怖かったとも云えます。
本誌 ところが、入門から1年も経たない12月、45歳の若さで亡くなってしまわれる。お父様と親方を同時に失う。青天の霹靂だったと思います。そして…
山上 伯父の山彦親方(山上薫廣)の元へ入門することになりました。
本誌 一門とはいえ「ここが違うのか!」と感じることはありましたか?
山上 やはり仕事は似ていました。伯父の火入れもきちっとしていた。なにより、昭和45年の入門から昭和50年の卒業まで、自分の仕事を犠牲にしながら、よく教えてくれました。心から感謝しています。
本誌 そして昭和50年、二代目こま鳥としてデビュー!
山上 最初に出荷されたのは、山彦の手がいっぱい入ったこま鳥でした。
本誌 やがて、山彦の手の入る割合が減っていく。
山上 そうです。伯父の最終チェックを受けつつ、私一人の仕事へと移行し…昭和51年、24歳で独立。
本誌 肝腎の価格は?
山上 下がらなかった。父が作っていた時と同じ。
本誌 プレッシャーがきつかったはずです。
山上 当時は早く経験を積みたかった。早く歳を取りたかった。
本誌 プレッシャーを力として現在の地位を築き、受章へと至る。素晴らしいです。さて、名竿を生み出す和歌山はじめ関西のへら鮒釣りの状況は如何ですか?
山上 此処から近い岩出の菊水、貝塚の水藻、川西IC近くの天神池、竹内街道の竹の内など自然を生かした管理池が幾つかあるけど、野釣りを含めて関東ほど釣り場に恵まれません。なにより、釣り人の数が減った。殊に神戸が減った。震災後、釣りどころではなくなったのでしょう。
本誌 製竿組合の池、隠れ谷は?
山上 やはり減ってます。平日で10人来るか来ないか。日曜日は例会が入るけど、それでも40〜50人。
本誌 一日1500円ですよね。経営が成り立ちますか?
山上 民間企業なら潰れているでしょう。製竿組合員による奉仕と和歌山県、橋本市のサポートで成り立ってます。
本誌 それは良かった。
山上 県も市も「釣り公園的なもの」と位置づけてくれています。トイレも橋本市が整備してくれた。
本誌 トイレは大切。トイレを見れば経営者のヤル気が分かります。
山上 そのとおり。トイレが綺麗でないと、女性が来られない。
本誌 ウオシュレットも大切ですね。
山上 そう、台風で壊れた桟橋の整備も県と市が助けてくれた。サポートがあるから、やっていけてます。
本誌 で、隠れ谷は釣れてますか?
山上 冬はカーボンの長竿で沖の浅場を狙うと釣れる。けれど、竹竿の人は良い顔しない。
本誌 それはそうでしょう。
山上 此の辺りだと「数なら隠れ谷、型なら菊水」と云われるけど、竹竿のことを考えたら、8寸くらいが丁度良いのかな。
本誌 関東の管理池も大型化が進んだ結果、真冬の日曜日など浮子が動かない。「小型でいいから、沢山放して欲しい」との声は少なくないでしょう。ところで、隠れ谷を支える製竿組合の状況は如何ですか?
山上 実働15名ほどかな。釣り人減少による竹竿の需要減から、全体数が減りました。そのためフィッシングショーなどの催事や隠れ谷の手伝いが間に合わなくなってきた。子供たちのための隠れ谷の釣り会の運営も大変。地元の小学校も人数が減ってきたので、此れからは「2〜3校纏めて」になるかもしれません。
本誌 竹竿需要が減る中「掛け玉が売れ筋」と聞きますが…。
山上 やはり竿の方が売れてますよ。私の場合、掛け玉は精々2〜3割かな。
本誌 何故、上等な掛け玉に人気があるのか?釣具店に尋ねたことがあります。答は「安い竿でも、こま鳥の竿掛けに置いたら映えるから」。確かに逆はありえません。
山上 新しいお客様を迎えるべく、作ってます。最初は掛け玉から入り、次に竿を買ってくださると嬉しい。
本誌 ところで竿掛けと竿、どちらが難しいのですか?
山上 皆さん、竿掛けは簡単だと思ってるでしょ。
本誌 はい、思ってます。
山上 竿掛けには竿掛けの難しさがある。材料の入手が大変なんです。昔は竿の長さが長かったので、1本半の8〜9節の竿掛けで115p+追い継ぎ35p。これに15〜16尺が載る。追い継の竹と玉の柄の竹、同じ太さで揃えてあります。
本誌 今、竹の15〜16尺を振る人は殆どいないでしょう。
山上 そうです。竿が段々短くなり、12尺を載せるなら1本半8〜9節の竿掛けで100p+追い継ぎ30p。
本誌 12尺もなかなか見かけません。
山上 そうです。今は8〜9尺が主流。それを載せる90pの竿掛けに10や11節を求めるようになったのです。
本誌 小節の竿掛け、人気ですね。希少価値だから自慢できる。
山上 しかし、そんな竹は滅多に生えていない。
本誌 誰も持ってないから嬉しい。よく分かります。
山上 ご希望に応えるべく、竹屋さんに探してもらってます。
本誌 今でも竹を探す伐子が活躍しているのですか!
山上 私より若い人が個人でやってる。ライトバンで各地を回ってます。自分でも伐りに行くことがあるけど、作業の合間に1カ月以上割けません。
本誌 よく分かります。
山上 とはいえ、綺麗に仕上げても、小節で作らないと「こま鳥は材料を持ってないのか。8節9節しかないのか」と言われちゃう。
本誌 機能的に一緒でも、其処までこだわりますか!
山上 そして10節や11節を漸く見つけても…芽が深い、テーパーがない、楕円になってる。こま鳥の名に恥じぬ、美人の竹は滅多にありません。けど、苦労の末に伐ってくれてるから「全部ダメです」ともいかないでしょ。ロスになる割合を考えると…小節の仕入れ価格は吉本さんが思っているより遥かに高いです。
本誌 それで7尺の竿となったら…。
山上 7尺の竿なら竿掛けは80〜85p。11節の良質の竹など滅多にありません。
本誌 ところで、小節の生える条件ってあるのですか?
山上 掛け玉には矢竹が使われます。小節の入る条件は限られていて、すくすく育つと節が出ません。日の当たり具合と土壌が大切。加えてテーパーも求めるから大変。1年待っても、材料がなければ作れない。それでも、竹竿も掛け玉も買ってくださる人がいるから幸せです。
本誌 そうです。漆器、織物、陶磁器。伝統工芸の世界は何処も辛いでしょう。生活様式が変われば、100円ショップで間に合ってしまう。
山上 そう、奈良の五条は桐下駄の産地として知られたけれど、下駄を履く人がいなくなれば下駄職人は消えてしまうのです。
本誌 伝統工芸という言葉が出たところで…茶室に置いてもおかしくない逸品を日や風のあたる中で振りまわす。作る側も大変でしょう。
山上 竹竿の趣、工芸の美しさを保ったうえで、使える竿を作りたい。そう思ってます。
本誌 そして、こま鳥は見事な卵殻握りで有名です。どのように作るのですか?
山上 玉子の殻をお盆の上で細かく割り、茶こしの網目で分けていく。
本誌 養魚池で網を引くのと一緒ですね。網目で大小を選別する。
山上 そうです。三角や四角も選んでいく。
本誌 やはり高級な玉子を使うのですか?
山上 いやいや、スーパーの玉子で十分。但し、生玉子から薄皮を剥くのが面倒。薄皮があると、皮が邪魔してピッとした綺麗な目にならないんです。
本誌 地の色と白のモザイク模様との対比。とても綺麗です。最後に…受章を機に心境の変化などありましたか?
山上 紀州のへら竿が頂いた。そう思っています。業界全体、後輩全体に対する恩返しをしなくてはいけない。此の文化が後々まで続くように尽力しなくてはいけない。その気持がより強くなりました。
本誌 御仕事の上では?
山上 技術を更に高めていきたい。将来の後輩たちに恥ずかしくない竿を作りたい。そう思っています。
本誌 力強い御言葉です。益々ご活躍ください。
  
 

中央 伯父 山上薫廣(山彦) 右 父 山上政信(初代こま鳥)
 


谷山商事の旅行会にて。
左が父、右が陽舟(石井利和)。この時代、ネクタイ締めて旅行に出掛けたのである
 
 

おそらく昭和30年代後半。黒っぽい服を着ている8名が竿師。左から夢坊(南孝雄)、東峰弟(川崎幸男)
師光(児島光雄)、源竿師(山田岩義)、東峰兄(川崎清照)、至峰(津田満雄)、こま鳥(山上政信)
げてさく(石井義夫)。後ろの3名は問屋さんか?
 


左から夢坊(南孝雄)、山彦(山上薫廣)、こま鳥(山上政信)
川俊夫、木村国男、江戸家猫八、江戸家小猫
 

父 初代こま鳥
 
団体トーナメント(中央の部)2回戦主将会議のご案内
日 時:令和4年8月19日(金)午後6時30分から
場 所:川口リリア11階会議室
参加者:団体トーナメント1回戦勝った支部の主将
注 意:欠席及び遅刻の場合は不戦敗となりますのでご注意ください。
 
団体トーナメント(中央の部)1回戦の対戦結果
☆令和4年7月10日(第2日曜日)
〇佐原支部(101.60kg)VS 群馬邑楽支部(71.20kg)● 筑波白水湖
〇取手支部(4.56kg)VS 浮藻支部(3.14kg)● 横利根川(平野)
●亀有支部(92.80kg)VS 若竹支部(124.80kg)〇 筑波流源湖
〇東葛支部(4.82kg)VS 大森支部(1.10kg)● 横利根川(小松屋)
●草松支部(137.47kg)VS 彩倶楽部支部(153.27kg)〇 友部湯崎湖

☆令和4年7月17日(第3日曜日)
●文京支部(41.87kg)VS 鶴瀬支部(92.36kg)〇 大宮武蔵の池
●松戸支部(6.54kg)VS 青空一竿支部(11.20kg)〇 横利根川(堀井)
●川越支部(29.0kg)VS 巽支部(34.3kg)〇 横利根川(中島屋)
●大泉支部(52.74kg)VS 赤坂支部(95.96kg)〇 野田幸手園

☆令和4年7月24日(第4日曜日)
〇八街支部(67.70kg)VS 北本支部(65.80kg)● 真嶋園
●あずま支部VS 浦和支部 ○隼人大池 
●水戸支部(12.20s)VS 三山一竿支部(13.40s)〇 横利根川(中島屋)
〇成増支部(13.80kg)VS 池上支部(10.31kg)● 横利根川(平野)
〇上福岡支部(149.50kg)VS 結城支部(117.40kg)● 筑波白水湖
 
個人ベストテン予選通過者
◎筑波流源湖(8名) 令和4年6月4日(土)
佐竹 喜仁(彩倶楽部)
磯貝 一彦(一般)
塚越 明夫(一般)
中島 亨(個人会員)
高橋 郁夫(長岡)
高柳 光雄(個人会員)
近藤 弘(一般)
大久保 隆司(青空一竿)

◎筑波白水湖(5名) 令和4年6月5日(日)
阿川 愼治(巽)
山崎 健司(個人会員)
飯山 睦人(彩倶楽部)
野村 崇(個人会員)
内田 はるか(蕨)

◎真嶋園(5名) 令和4年6月12日(日)
坂巻 茂夫(東葛)
森杉 保幸(東葛)
松本 茂(若竹)
池本 一幸(一般)
外山 雄大(彩倶楽部)

◎隼人大池(5名) 令和4年6月12日(日)
川村 寿行(若竹)
佐々木 吉光(一般)
静野 圭一(一般)
野市 哲也(一般)
宮本 聖一(一般)

◎友部湯崎湖(8名) 令和4年6月19日(日)
田上 智(一般)
佐々木 大樹(一般)
佐賀 真一(一般)
石川 仁(岩井)
原 悟志(一般)
飯田 賢汰(一般)
森嶋 由晴(巽)
秋葉 恍諒(一般)

◎武蔵の池(3名) 令和4年6月19日(日)
大沢 健一(三山一竿)
高橋 淳(三山一竿)
池部 良一(草松)

◎決勝戦
令和4年10月10日(祝) 野田幸手園(竹桟橋貸切)集合時間:午前5:00 会費:4,000円
参加資格取得者は9月26日(月)までに本部事務局に申し込んでください。
 
シリーズ「この人に聞く」第91回 生態学の権威 池田清彦先生
 



 TV番組「池の水ぜんぶ抜く」において、へら鮒は「国内外来種」の汚名を着せられ、駆除の対象となっている。当然「日研は何故強く反論しないのか」の声を頂いてきた。此れに対し、現執行部は「池に生息する生き物は池の所有者・管理者に帰属する。外来種の認定や駆除は問題の本質でなく、池の所有者・管理者の処分権に拠る。彼らが駆除に同意すれば外部から口を挟むことは難しい。原理主義的生態学者の戯言は放置する」との見解をとってきた。
 とはいえ、我らのへら鮒が駆除の対象とされるのは納得がいかない。どのようにして「国内外来種」という言葉が生まれ、「国内外来種を駆除」という発想に至ったのかも知りたい。日本釣振興会の評議員を勤め(遠藤理事長も釣り人団体を代表する評議員)、「ウソとマコトの自然学」「自粛バカ」「初歩から学ぶ生物学」など多くの著書を世に送り、TVでも活躍する生態学の権威、池田清彦先生(理学博士、早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授)にお話を伺います。(聞き手:理事長・遠藤克己、広報部・吉本亜土)。


本誌 お忙しい中、ありがとうございます。お話を伺うのを楽しみにしていました。まず、先生のお生まれは?
池田 昭和22年、東京都葛飾区で生まれ、小学校に上がる前に足立区の梅島へ引っ越しました。今でこそ宅地になっちゃったけど、当時は自然が豊かでした。田圃の水を温めるための溜池が沢山あり、フナ、タナゴ、ナマズ、雷魚を釣ったり四つ手網で獲ったりしていた。冬に水中眼鏡を着けて、コイを手づかみすることもあった。もちろん虫も追いかけ、今でも昆虫採集は好きです。
本誌 専門分野についてお教えください。
池田 「構造主義生物学」と呼ばれるシステム論です。生物は遺伝子の変化だけで進化するわけでなく、遺伝子を動かすシステムが大切。それが変わると、生物も変わる。1980年代から訴え続け、最近ようやくメジャーな生態学者も認めるようになりました。
本誌 具体的な例をお教えください。
池田 鯨とカバは系統的に近い存在。鯨は牛や豚より「カバに近縁」と云えるでしょう。遺伝子を動かすシステムが変わり、足を作る遺伝子を抑えて別のことを始めた、すなわちヒレを持つようになったのです。
本誌 遺伝子を働かせるシステムが生物の発展や衰退を支配しているのですね。
池田 大きな進化ではそうです。ただミクロな進化では、突然変異や交雑など遺伝子の変化も進化原因として重要。人間だって、アフリカに生まれたサピエンスがユーラシアへ移動し、そこにいたネアンデルタール人と混血して発展したとされています。云わば、アフリカに残ったホモサピエンス以外の現生人類は遺伝子汚染の産物。アフリカを出たサピエンスのうち、純血を守ったものは滅び、混血した人たちだけが生き残ったのです。日本人だって元は外来種で、あちこちからやって来た人たちのハイブリッド。遺伝子汚染などという言葉で交雑を排撃するのはおろかの極みです。
本誌 外来種への排撃、ナチスの優生思想にもつながりますね。
池田 保全生態学と呼ばれる、種の絶滅や人間社会への影響を重視するグループがあり、彼等は最初から交雑や外来種に対して偏見を持っている。元来生態学は世間の注目を集めにくいし、お金も出ないでしょ。そこで、連中は外来種に目をつけた。外来種を悪者にすれば研究費を引き出せるからです。地球の歴史を振り返れば、地球の温暖化や寒冷化は当たり前の変動であるにも関わらず、IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change、気候変動に関する国際評議会)が地球温暖化を人為による悪と決めつけ、研究費を手に入れるのと同じ手法。
本誌 本当に危険なのは地球の寒冷化と聞きます。
池田 そう、温暖化すれば作物の生産量が増えるので、寒冷化よりはるかにましです。それに実は、温暖化しているかどうかも定かではない。今年も左程暑くなかったでしょ。
本誌 9月に残暑が来るかと思ったら、いきなり涼しくなりました。
池田 彼等に反省はありません。その結果が電気自動車とソーラーパネル。EUが強く地球温暖化の危機を唱えているのも…彼等の金儲けにつながるから。
本誌 そう考えると、納得する部分が多いです。
池田 CO2の排出は温暖化にとってさしたる問題ではないので、石油や石炭を見捨てるべきではありません。原発に比べれば火力発電は遥かに安全です。一方、ソーラーパネルは10年経ったら瓦礫の山でしょう。風力発電の風車も取り外すのは大変。作る時、撤去する時、共に大変なエネルギーが掛かります。山を削り木を切って造ったソーラーパネルを収支決算すれば、CO2を減らせるというのはウソだと思う。電気自動車も作る時のエネルギーを考えると果たして如何か。
本誌 ソーラーパネルは景観にとっても大敵です。
池田 石油や石炭や天然ガスが主たるエネルギー源では、中東やアメリカやロシアやオーストラリアしか儲からない。「EUにも稼がせろ」が本音でしょう。規模は小さいけれど、外来種にも似たところがあります。
さして重要でもないことをあたかも大問題だと言いたて、外来種を悪者にする専門誌を作って論文を発表し、ポストを得ようとしている。
本誌 正に曲学阿世ですね。
池田 外来種は個体数の変動が激しいので派手な論文が書きやすく、加えて生態系に与える影響を煽ればマスコミが食いつく。すなわち食えるようになった。これが真相。
本誌 なるほど!そう考えると腑に落ちます。
池田 昆虫の分類やっても、なかなか研究費は下りない。けれど外来種を駆除する方法とか考えれば、文科省や環境省から予算が得やすい。テレビにも出られる。比較的スムースに階段を上がれる。そのためには大義名分が欠かせない。だから最初から「外来種を駆除しないと日本の生態系が大変なことになる」との立場が前提になっている。地球温暖化と同じ構図です。
本誌 国内外来種という言葉、日本の学会で市民権を得ているのですか?
池田 最近になって其の手の学者が考えた。昔は帰化植物という呼び名があったでしょ。
本誌 クローバーが代表的ですね。トマトもジャガイモも元々は日本になかった。
池田 けれど、帰化植物では悪者の感じがしないから外来種。国内で原産地を越えて広がるのが国内外来種。
本誌 外来種=撲滅対象ではキリがありません。
池田 そう、マジョリティの役に立つもの、大きなお金になるものには外来種のレッテルを張らない。農協や漁協を敵に回すわけにもいかない。
本誌 だから、ヤマメやアユの放流は非難しない。
池田 漁業組合があるから触らないのです。琵琶湖から全国へ放流されるアユは、間違いなく国内外来種です。彼等にとって遺伝子汚染、生態系破壊のはずだけど、漁業組合を相手にするのは大変だから知らない顔をしている。
本誌 だからへら鮒やコイを…。
池田 そう「相手を選んでいる」と言えなくもありません。へら鮒やコイを生活の糧としている人は少ないから。
本誌 口惜しいけど分かります。確かに「池の水ぜんぶ抜く」は漁協や自治体が放流している池を狙わない。
池田 マスメディアや学者にとって都合良い場所を選んで行っている。そう思えます。
本誌 ところで、改めて伺います。外来種や国内外来種が定着すると困ることがあるのでしょうか?
池田 オオサンショウウオが例に挙げられるかな。京都の賀茂川には日本のオオサンショウウオと、誰かが放した中国産のオオサンショウウオが居て、そのハイブリッド(雑種)が生まれている。誰も困らない。けれど、雑種を捕まえるとプールで飼い殺し。自然の中では交雑が進むのが当たり前。自然の中へ出したところで、日本と中国のオオサンショウウオは生態的地位が同じなので、日本の生態系が影響受けるわけではないのにね。
本誌 東京湾で絶滅し、九州で生き残っているアオギスを東京湾へ放流しようとしたところ…「もし東京湾で生き残っていたら遺伝子の交雑が起こり、東京湾の純系が絶えてしまう」と反対の声が上がり、取りやめになったことを思い出します。
池田 その一方、日本で絶滅したトキやコウノトリは中国産を放して復活させた。北アルプスの雷鳥を中央アルプスで繁殖させる復活作戦も進行中。
本誌 観光や経済につながれば、遺伝子は関係ない。
池田 そのとおり。いい加減、ご都合主義と呼ぶ他ありません。イリオモテヤマネコも、大切と思えば、親筋にあたるベンガルヤマネコを今から放しておけば宜しい。交雑で遺伝的多様性が高まり、絶滅に備えることができます。
本誌 渡来から何年経てば、外来種と呼ばれなくなるのでしょう?
池田 モンシロチョウは恐らく江戸時代以前に、コスモスは明治時代初期に入ってきた。今、誰も外来種と呼ばないでしょ。ブラックバスも芦ノ湖に放流されたのが大正末期だから、100年ほど経っている。
本誌 けれど、バスは未だ時間が掛かりそうですね。
池田 外来種が入り、在来種が其れに対応できないと、始めの内は無茶苦茶増えたりする。やがて日本の生態系に取り込まれて安定する。其の一例がアメリカシロヒトリ。
本誌 桜を丸坊主にしてしまう毛虫ですね。
池田 一時は大騒ぎしたけど、今は全く話題になりません。人が退治したわけではなく、シジュウカラが食べ方を覚えたから。
本誌 え!
池田 アメリカシロヒトリは天幕のような巣を作って昼は中に籠り、夜になるとぞろぞろ出て桜の葉を食べる。或る時、何かに追いかけられたシジュウカラが逃げまどい、その天幕に飛び込んだ。すると至る所エサだらけ!大喜びで巣の中の毛虫を食べ、やがて周りのシジュウカラも真似して食べはじめ、それでアメリカシロヒトリは減っていった。そう考えられています。
本誌 初めて知りました。
池田 生態系は「外来種だけの繁栄を許さない」ように出来ています。なにより、多くの生物は新しい世界へ入った途端、絶滅してしまう。空いている生態的地位に入ってきたのが爆発的に増え、徐々に在来の生態系に組み込まれていく。
本誌 ブラックバスは組み込まれ中なのですね。
池田 しかし、なかなか組み込まれない奴もいる。其の一例がアメリカザリガニ。田圃の畔に穴を掘って住むような在来種がいなかった。水が干上がっても死なない。だから爆発的に増えたのです。池の水を抜いても生きてるから、「池の水ぜんぶ抜く」をやると…アメリカザリガニだけ増えるのではないかなあ。アメリカザリガニは最悪の外来種だと思うけど、ブラックバスほど話題にならないね。
本誌 最近「食用として人気のため、中国では増加が抑えられている」とのニュースを読みました。
池田 そう、食べれば美味しい。綺麗な水で1週間とか10日間飼って、泥を抜けばよい。私が一時住んでいた豪州でもアメリカザリガニに近縁の種が「ヤビー」と呼ばれて人気の食材でした。アメリカザリガニもブラックバスも食えば美味いですよ。因みにブラックバスはアメリカザリガニが好物なので、ブラックバスがいるところではアメリカザリガニはそれほど増えない。
本誌 ミドリガメの親、ミシシッピアカミミガメも問題ですね。
池田 在来のイシガメやクサガメ(最近これも外来種と言われている)より強く、獰猛だった。今やカメの7〜8割はアカミミガメ。在来種の卵とかを食べちゃったのではないかなあ。
本誌 ブルーギルも大変でしょ。
池田 不味い。小骨が多くて食べにくい。だから獲る人もいない。
本誌 一碧湖に放流記念碑が立ってました。
池田 繁殖力が強いうえ、日本に獰猛な捕食魚がいなかったので増えた。ブルも何処かで落ち着くと思うけど、しぶといねえ。とはいえ、生態系にそれほど悪い影響がなければ「多様性が増えた」と考えるべきでしょう。中禅寺湖もブラウントラウトはじめ外来種の湖だけど、釣れば楽しい。駆除を唱える人もいない。
本誌 正にご都合主義の極み。
池田 本当なら遺伝子の交雑など大した問題ではありません。けれど、純血種や元々棲んでいた生き物以外認めず、ハイブリッド(雑種)を排撃すれば、コントロールを通じて金が入る。
本誌 正義に見えるから、余計タチが悪い。
池田 純血に拘り続ければ、環境が激変した時に絶滅する可能性がある。遺伝子汚染は、言い換えれば「自分たちとは異なる遺伝子の到来」。交雑した子孫は環境変動に強い。サピエンスがネアンデルタールと交配したのと同じで…その時は「あとで有利になる」と思わず無意識だったろうけど、結果は吉と出ました。
本誌 賀茂川のオオサンショウウオは?
池田 同じ種と思って交配したはず。見た目も日本人がアメリカ人と結婚するより近いでしょ。異なる遺伝子を取り入れることは大切。そのため、異性にときめくフェロモンは遺伝的に遠い人から発せられるフェロモンで…自分から遠い遺伝子に魅力を感じるのです。だから、娘は父親に性的魅力を感じない、兄弟にも感じない。これは遺伝的多様性を増やして絶滅を免れる知恵なのです。
本誌 それでも、遺伝子の交雑を恐れる人たちがいる。
池田 種の保全を考えれば、遺伝的多様性が高い方が有利なのだけれどもね。生きている生物は進化するのに、文化財と同じように「いつまでも同じ状態で保全したい」というのは妄想ですよ。
本誌 神学論争みたいですね。
池田 事故で湧水が枯れた細流から、そこに棲むアブラハヤの絶滅を回避するため、2キロ離れた近くの沢に移動させ、湧水が復活した時に元に戻したら、「交雑が起こるより絶滅させた方がいい」と原理主義者に言われた…とアブラハヤを助けた岸由二が呆れてたな。「ネアンデルタール人と交雑しないで純血を守ったサピエンスは絶滅したんだよ。あんたが存在するのは交雑のおかげなんだよ。何もわかっちゃいねえな」と俺なら言ってやるけどね。
本誌 驚きました。
池田 彼等にとっては、生物の命より自分の原理の方が大切。その一方で、「魚の命を守るために日本から釣りをなくしたい」と言ったり、「虫の命を守るために昆虫採集禁止」と主張したりしている。本当は、偽りの正義を盾に「人の楽しみを邪魔するのが楽しい」のだろうけれどね。
本誌 タリバンみたいな連中ですね。
池田 そう、自分たちが正しいと思うことを全ての人に押し付ける。そして、池の水を抜いて外来種を駆除しても、その先は考えていない。
本誌 彼等が得るもの、目指すものは何でしょう。
池田 最初に話したように、ポスト、名誉、お金。だいたい学会で名を上げようとする人は、若い頃からTVなどに出ません。TVに出る喜び、名を売る満足感が其れを上回るのかな。なにより、無闇とかいぼりすることが間違っている。
本誌 そうなのですか!
池田 「池を干すにも意味がある」こともあるのです。それは「塩害や富栄養化を防ぐ」こと。勝手に乾くと池の底に塩分や栄養分が溜まる。メソポタミア文明は塩害で滅んだ。水を一気に抜けば底に塩分や栄養分が溜まらない。
本誌 NHKの新日本風土記「淡路島」では、瀬戸内海の栄養分を増やすため、かいぼりして池の水を海に流してました。
池田 そう、生態系にとって意味のあるかいぼりはすれば宜しい。
本誌 かいぼりという言葉が再び出たところで、私たちは、へら鮒を国内外来種として駆除する「池の水ぜんぶ抜く」に、どのように対処すれば良いのでしょう。TVに出てくる学者に公開質問状を送れば、効果ありますか?
池田 握り潰すだけかな。たぶん何も返ってこない。それでも、言いたいことを伝えることに意味はあるでしょう。
本誌 ありがとうございます。今日お話を伺い、自然を見る目が少し磨かれた気がします。池田先生も自然を護るため、生物学の発展のため、益々ご活躍ください。

 この記事が掲載された日研ニュース608号を「池の水ぜんぶ抜く」の関係者にお送りしました。
 生態系およびへら鮒について考える機会となってくれれば、嬉しく思います。
 
 令和4年(第51期)放流協賛金(放流バッジ)のお願い
 今年度は、10月10日(日)の北海道地区を皮切りに、12月19日(日)の朝日池まで、全放協分9,761kg、全放協委託分41,926kg、日研分3,567kg、日研委託分8,192kgの合計63,446kgを全国の湖沼および管理釣り場に放流します。
 なお、放流バッジ郵送時に協賛金の振込口座を指定した用紙を同封しますので、放流バッジが手元に届いてからの振込をお願いします。

放流協賛金(放流バッジ)1個:1500円

申込先:全日本へら鮒放流協議会 〒135-0004 東京都江東区森下1−18−7
                              日修ビル2F
TEL:03-3846-5077 FAX:03-3846-5113
E-mail:zimukyoku@nikken-web.net
必要記載事項:氏名、郵便番号、住所、電話番号(携帯)、必要個数
 
シリーズ「この人に聞く」第88回 戸面原ボートセンター 相沢 裕之 氏


戸面原ダムボートセンター
相原 裕之 氏




竹岡のヒカリモ




高宕山の看板




駐車場と桟橋を繋ぐリフト




石田島で大型バスとファイト中




石田島で大型バスを釣りあげる

   へら鮒釣りとバス釣りの共存。前回に続いて、三島湖、豊英湖と並ぶ房総半島の名釣り場、戸面原ダムの相沢裕之氏。此処でもへらとバスと、共に好調です。(聞き手:吉本 亜土、文中敬称略)
本誌 早速ですが、お生まれは?
相沢 昭和44年。正に地元、戸面原ダム(昭和53年竣工)のある富津市豊岡。今も直ぐ近くに住んでいます。
本誌 大阪万博の前の年ですね。初めての魚釣りは?
相沢 ダムが出来る前、小学生の頃、西川渕(ボートセンターから左手上流へ漕ぎ上がった右側)でハヤを釣ってました。ヤマベも釣れた。
本誌 そうか、当時は湊川が流れていたのですね。道具やエサは?
相沢 最初は爺さんに、近くに生えてる布袋竹で竿を作ってもらった。エサはミミズや川虫。
本誌 釣りキチ三平みたいです。現在のダムを見ていると川虫のイメージは湧きませんが…。
相沢 今も上流の川へ行けば沢山います。戸面原は結構奥が深い。
本誌 上流はどうなっているのですか?
相沢 実は豊英湖と背中合わせで、直線距離なら意外と近い。湊川は豊英湖の近くから流れ出し、戸面原ダムを経て富津市の上総湊へと注ぐ。上流には今もハヤやヤマベがいます。降りていく道はあるから、川釣りは可能でしょう。
本誌 アユは?
相沢 現在はいないけど、ダムが出来る前は東京湾から沢山上がってきました。湊川を遡上するアユ、放流されたアユ。爺さんは「竹で水面を叩くとアユが岸に飛び出す」と言っていた。ウナギもカニもいました。
本誌 そういえば、今もダムへ来る途中「モクズガニ」の看板を見ますね。ところで、上総湊は昔、天羽(あまは)と呼ばれていませんでしたか?
相沢 そうです。天羽町。今でも富津市の中に天羽地区として名が残っています。
本誌 私、小学生だった昭和30年代後半、東京湾口に近い館山で臨海学校があり…東京の竹芝桟橋から東海汽船の橘丸で向かう途中、船が天羽港に寄港したのです。海が透き通っていたのを覚えてる。
相沢 当時は綺麗だったでしょう。
本誌 磯も豊かでしたね。自然観察の日、色彩に富んだタイドプール(潮だまり)にゴンズイが2匹泳いでいたのも覚えています。そうそう、先日ダムでの釣りを早めに上がった後、その天羽地区で左折して館山方面へ少し走り、竹岡へ寄ってきました。
相沢 何かありますか?
本誌 国の天然記念物「竹岡の光藻(ヒカリモ)」。藻が光るんです!但し、本体が発光するわけじゃありません。4月から5月にかけて、単細胞の小さな藻が成熟して水面へ浮上する。すると、藻の中にあるレンズに似た部分が日光を反射し…水面が金粉を撒いたように輝く。小さな洞窟で光ることから、地元では「黄金井戸」と呼ばれています。
相沢 黄金井戸、知ってます。けど、行ったことはない。
本誌 大日如来や弁財天も祀られ、信仰の場でもあるようですね。横には国道127号線が走ってるし、正直半信半疑だったのですが、ホントに水面が光っていて驚いた。竹岡のヒカリモ、日本最初の発見地として昭和3年、天然記念物に指定されました。是非、行ってみてください。
相沢 来年行ってみます。亜土さん、釣りのついでにいろんな所へ寄るのですか?
本誌 そうです。往復の途上、重要文化財の寺社や天然記念物を見るのが好き。野釣り場の周囲は大概自然豊かで…戸面原ダムに現れるサルも、湊川の水源である高宕山(たかごやま)の天然記念物「高宕山のサル生息地(註:海抜315mの高宕山を中心に南北4キロ・東西2キロ、富津市富岡〜君津市平田一帯の房総丘陵に20〜100頭からなる群れが10数群棲息している。ニホンザルの群れとしては大きく、比較研究の対象としても学術的価値は高い…として昭和31年、国の天然記念物に指定された。一方、居心地が良いのか、千葉県のHPによれば高宕山と清澄山を中心に房総半島全体での棲息数は数千頭に及び、富津市・君津市ではサルの被害に悩まされている)」から来たものでしょう。ところで、相沢さんの其の後の釣りは?
相沢 昭和53年にダムが完成し、中学ではコイのぶっ込み、高校から社会人では向田(むかいだ。ボートセンターの上流、西川渕へ向かう途中の左側)のワンドへルアーを投げてブラックバスを釣ってました。
本誌 常に釣りと共にあったのですね。その後は?
相沢 海でクロダイ。上総湊でぼちぼち釣れます。堤防からのダンゴ釣りで、一本バリに付けたオキアミを寄せエサのダンゴで包んで打ち込む。
本誌 成績は?
相沢 最高は一日に30〜40pを20枚。
本誌 スゴイ!味は如何でした?
相沢 時期によって脂が乗っていて美味しい。やっぱり春先かな。
本誌 産卵前の乗っ込み。桜鯛と呼ばれるタイと一緒ですね。そして今は?
相沢 カワハギです。金谷や上総湊から出船して竹岡沖を釣る。横浜方面へ行くこともある。
本誌 エサは?
相沢 マルキユーの冷凍アサリ。
本誌 え!冷凍物で釣れちゃうのですか!私、スーパーで剥き身を買ったり、熱心な人は前の晩に殻から剥くと思ってた。
相沢 生のアサリと全く遜色なく釣れちゃう。冷凍で十分。自分で持参すれば、舟宿支給の冷凍アサリより鮮度も宜しい。マルキユーのアサリ、凄くいいです。
本誌 初めて知りました。さて、カワハギは難しい、だから面白いと聞きます。
相沢 そのとおり。口が小さいから食わせるのが難しい。エサの付け方次第で、エサだけ取られちゃう。
本誌 仕掛けは?
相沢 ハギバリの5号。カワハギには歯があるし、フグもいるからハリスは2号。
本誌 当然、フグも来ますよね。
相沢 フグとの闘いになることもあります。10〜40m海底の根を釣るため、掛かりも厳しい。
本誌 成績は?
相沢 最高で50匹、最大で35p。
本誌 スゴイ!
相沢 釣った魚は自分でさばいて、煮つけや肝和えの刺身で食べます。とても美味しい。但し、最近は釣れない。始めた時より釣れなくなった。獲りすぎかなあ。
本誌 厳しい排水規制で「東京湾が綺麗になりすぎたから」という説がありますね。生活排水が適宜流れ込まないと、魚のエサとなるプランクトンも湧かない。瀬戸内海や大阪湾でも同じ現象が起こっているそうです。
相沢 上総湊を見ていても確かに綺麗になった。しかし、綺麗じゃなかった時の方が釣れた。
本誌 自然の管理は容易じゃありません。誰もが「透き通った海こそ一番」と信じていたのですから。ところで、カワハギをやってるとウマズラハギも釣れますか?
相沢 「カワハギより美味しい」という人もいるウマズラ、今はあまり釣れません。此の辺りだと館山には少しいるみたいだけど。
本誌 ウマズラは珍しいのですか!驚きました。私、カワハギ釣りにとって、キス釣りのメゴチやトラギスと同じく「ああ、来ちゃった」の魚だと思ってた。他の釣りの話も楽しいですね。さて、戸面原ダムについて伺いたいと思います。此のダムは農業用水ですよね。
相沢 そうです。だから、夏場に田圃で使うと大減水する。もちろん漁業権はなく、千葉県や富津市と湖面利用を契約しています。
本誌 「貸ボート屋さん」としての扱いですね。
相沢 そうです。放流についても、ダム完成時には「万一毒が入った時に分かるため」と聞く義務放流があったけど、現在は「貸ボート屋が放流している」形。
本誌 そして、戸面原ダムの釣果は連日20〜30キロ超。好調を維持しています。最近の放流量は如何ですか?
相沢 去年5トン+5月22日の土曜日に1トン超を追加。計6.5トンほどになります。
本誌 昔は?
相沢 14年前にボート屋を継いだ当時は6〜7トン入れました。その後例会が減って、お客の数も減って…放流に回すお金がなく、3トンほどになっちゃった。
本誌 厳しい時代があったのですね。
相沢 引き継ぐと決めた時、周囲は止める人、応援する人、様々でした。
本誌 確かに勇気の要る決断だったと思います。
相沢 それまで近場で普通に働いていたのが、いきなり舟宿でしょ。今は此処で一緒に朝御飯を作ってくれる妻も、仕方なくついてきた。
本誌 始めた時の印象は?
相沢 こんなはずではなかった、エライコトになったと思った。それまで体力勝負のサラリーマンだったとはいえ、朝早く起き、お客の朝御飯を準備し、終了後はボートを洗う。身体が大変でした。
本誌 毎日ですものね。
相沢 直ぐ慣れたとはいえ、最初から「木曜定休」にしておいたのは正解。
本誌 そんな日々が順調に…
相沢 続きません。継いだ当初こそ、120杯のボートが全部出ることもあったけど、段々と下り坂。例会が減っていく。参加人数も減っていく。「若い人がいない」と感じていたけれど、年毎に姿を見せない人=亡くなる人が増えていく。
本誌 日研の大会や会議でも同じことを感じます。
相沢 高齢の人はバスでしか来られない。しかし、会員数減少でバス例会ができない。そのための解散も見てきました。
本誌 舟宿の経営者として、肌で感じますね。
相沢 継いで4年ほど経った頃、体力大変から経済大変へ変わった。予想より早かった。今から4年前がどん底でした。
本誌 日銭商売でお客が来ないのは辛い。
相沢 100杯ある舟がろくろく出ない。雨が降るとフリーの人は来ない。日曜日でも60杯が最高、平日はゼロも日さえあった。
本誌 お話を伺うだけで胸が痛みます。
相沢 そんな状況を救ってくれたのがブラックバス。3年前の平成30年10月、バス釣りにボートを貸すことを決断し、大きく変わりました。
本誌 解禁前も勝手にバス釣りしてたでしょ。
相沢 そうです。フローターやマイボートが来ていた。けれど、放っておくと押さえが効かない。どんどん増えちゃう。そのため「悪いけど、へらの人がいるから出て行ってね」と声を掛け、上がってもらいました。
本誌 そんな努力を重ねておられたのですか!
相沢 幸い、怖い思いをしたことはありません。
本誌 バスボートは何処から入っていたのですか?
相沢 中島ワンド(桟橋から右手へ漕いだ先)、トンネルワンド(桟橋から左手へ漕いだ奥)あるいは向田の辺りから入れていた。休みの木曜日にも船外機で回って追い出してました。
本誌 そんな排除の対象が「お客様」に変わった。
相沢 そうです。経済的危機を前に「此れしか道はない」と決意した。
本誌 結果は「吉」と出ましたか?
相沢 おかげさまで当たった。現在、へら鮒釣りのことを考え25艇に制限しているけれど、制限しなければもっと来ると思います。
本誌 25艇なのですね。
相沢 へら鮒釣りとの関係だけでなく、あまり舟数が増えると「スレて釣れなくなる」のです。なにしろ放流禁止の魚だから、大切にしないと続かない。
本誌 なるほど。其処まで考えておられるのですか。釣り人同士の関係から見れば「バサーは気持良い人が多い」「おしゃべりして楽しい」印象ですが…。
相沢 そう仰っていただけると嬉しい。
本誌 私、バサーが近づいてくると必ず声を掛けるし、迷惑と思ったことは一度もありません。ただ…
相沢 ただ…?
本誌 手漕ぎボートだけは気に掛かる。あれがキイコキイコ来ると、アタリが止まるような気がする。此処では手漕ぎも貸しているのですか?
相沢 そうです。ボート全長が12ft以上の場合、エレキを付けると小型船舶免許が必要で、その免許を持っていない人は手漕ぎボートで釣ることになる。
本誌 なるほど。
相沢 加えて、バスはエレキのモーター音に反応し「警戒して釣れなくなる」とも云われています。手漕ぎの場合、バスが安心するらしい。
本誌 驚きました。私たち「へらはオールのキイコキイコで釣れなくなる」と信じているのに…バスは逆!しかし、手漕ぎは両手が塞がってるでしょ。どうやって釣るのですか?
相沢 舟を止め、そこからキャストする。但し風に弱い。風の日は舟が流されるため、手漕ぎでは釣れません。
本誌 なるほど。いちいち立ち上がるのも大変そうですね。
相沢 ボートが11ft以下の場合、エレキ使用のための小型船舶免許は不要。但し、現在のところ、此処は12ftしか置かず、免許を持ってる人だけに舟を貸しています。
本誌 1ft(30p)の差で免許の要不要が決まるのですね。さて、そんなバサーのへら鮒釣りに対する意識は如何ですか?
相沢 此処に来るバサーは「へら鮒釣りの軒先を借りている」と理解し、気を遣ってます。加えて出舟前(へら鮒より10分遅れ)に必ず、私から「へらの人に近寄らない」「移動時には引き波を立てない」ようお願いしてる。おかげで、バサーとへら鮒がやり合った話は聞きません。たとえ、へらの人に怒られても「スミマセン」で去っていくでしょう。
本誌 良かったです。なにより、バスのおかげで舟宿の経営が成り立つ。へら鮒釣りを続けることが出来る。相沢さんの決断とバサーに感謝する他ありません。そんな状況の下、現在の売上は?
相沢 へらとバス、半分半分ですね。
本誌 もっとバスが多いと思ってた。
相沢 へら鮒の売上も決して少なくありません。放流を続けているからでしょう。「戸面原は釣れる」と評判になり、日曜例会が来てるし、フリーの個人客も来てるし、4年前のどん底から盛り返しました。
本誌 私は此処の朝御飯も好きです。なるべく舟宿で食事して売上に貢献したいし、コロナ禍が去って、再開されるのを楽しみにしています。但し、盛り返した分、忙しいのではありませんか?
相沢 いくら木曜定休とはいえ、サラリーマン時代と異なり、休みがなくなったのは大きい。旅行など行けない。好きじゃなきゃできません。
本誌 舟宿の仕事が大変なことはよく分かります。となると、舟代が安すぎるのでは?今、戸面原はバスもへらも3000円でしょ。私が日研に入った40年前、舟代は何処も1500〜2000円したと思う。キツイ労働+休みなしで一日3000円は、大人の遊びとして果たして適切な対価か…。
相沢 確かに「高い」とクレームする人はいません。安いという人はいるけど。
本誌 経済的にも報われるようになって欲しいと思います。ところで、バサーには例会とかあるのですか?
相沢 日曜日など「仲間で25艇貸し切り」の日もあります。終わってから表彰式やってる。
本誌 若いですか?
相沢 若い若い、自分より若い。
本誌 舟宿がバスとへら鮒を両方やることで、バサーがへら鮒に興味を持ってくれるといいですね。
相沢 おじさんがイレパクする姿を見て「今度やってみようかな」と言う人もいますよ。
本誌 嬉しいですね。但し、へら鮒は道具の敷居が高い。スキーもレンタルになった時代、初めての人のために竿や仕掛けは舟宿や管理池でレンタル、エサも舟宿や管理池が小分けして売ってくれれば…と思うことがあります。とはいえ、道具はバスも高いのでは?バサーと話すと「リールと竿の1セットで5万は超える」由。此れを何本も揃え、エレキや魚探の機器類もあるのでしょ。
相沢 そう、台車に乗せて運ぶほど。加えて、へら竿と違って落とせばそれまで。竿もリールもダムには沢山沈んでると思います。
本誌 ところで、バスは新規の放流が難しい。リリース禁止の所さえある。釣ったのを再放流するだけで…どうやってバスの資源を維持しているのですか?
相沢 此処は幸いリリース禁止ではありません。但し、バスとずっと遊べるよう、たとえエアポンプを付けても、容器に魚を入れて桟橋へ持ち帰ることは禁止。
本誌 初めて知りました。では、どうやって競技するのですか?
相沢 長寸ゲージにバスを載せて写真を撮るのです。最初に参加者全員で「其の日共通の写真」を撮ってから競技スタート。
本誌 なるほど、共通写真から後が「当日の釣果」になるのですね。
相沢 そうです。写真の結果を総合して順位が決まる。
本誌 やはり釣られれば、バスといえども傷むのですね。
相沢 3年前に解禁した時は爆釣。バサーにとって夢のような場所でした。3年経った今、先は楽観できません。自然繁殖はしている。但し、そのチビが何処まで大きくなるか。
本誌 幸い「バスを放せば小魚全滅」でもないことが理解されてきました。此処でもヤマベが釣れる。生態系の安定を感じる。バスとへらが平和共存し、バスの売上がへらの放流に回ることを願ってやみません。
相沢 バサーもへらの人から話しかけるのが嬉しいみたい。上手にコンタクトを取ってください。
本誌 そう、こちらもおしゃべりしたいです。ところで、此れからのバスのポイントは?
相沢 本湖ですね。落合(桟橋の対岸)、石田島(センター上流のオダ。へらの例会で優勝者のよく出る名ポイント)、前島(石田島手前)、光生園下(本湖から上流水路への接続部)。やはり深場が釣れる。
本誌 へらのポイントと一緒だ!
相沢 だからこそ、仲良くしてください。同じ釣り人同士、トラブルなしに楽しくやっていきましょう。
 
シリーズ「この人に聞く」第87回 三島湖舟宿組合組合長 石井 時保 氏


石井 時保 氏




石井の桟橋に並ぶバスボート




桟橋へ降りる階段とリフト




階段の上に並んだ道具類






1個25キロのバッテリーと台車




出舟準備のバサー、背景は奥米橋

   今回のテーマは「へら鮒釣りとバス釣りの共存」。房総半島の名釣り場、三島湖でもバスボートを見かける機会が増えました。増えたどころか…バスボートの方が多いんじゃないかとさえ思える。此の4月から三島湖舟宿組合の組合長に就任された、舟宿「石井」の石井時保(ときお)さんにお話を伺います。(聞き手:吉本 亜土、文中敬称略)

1 石井 時保 氏と舟宿「石井」
本誌 早速ですが、お生まれは?
石井 昭和36年、三島湖で生まれ育ちました。
本誌 では、小学校は三島小学校。
石井 そうです。今は清和小学校に統合されて廃校になっちゃったけど、私の頃は全校合わせて150人程いた。
本誌 日研の夏季大会、表彰式会場として体育館を使わせていただきました。ところで、三島湖(昭和30年、小糸川を堰き止めて三島ダム竣工)の舟宿は「石井が一番古い」と伺っています。
石井 そうです。私の父、石井公一が57年ほど昔、自宅に近い三島湖上流の夫婦橋で開業しました。
本誌 東京オリムピック(昭和39年)の頃ですね。
石井 そうです。但し貸舟はなかった。
本誌 舟を貸さない舟宿?
石井 海の漁師から中古のポンポン蒸気を買い、5人10人と乗せ、陸路では行けない釣り場へ送迎していました。
本誌 湖面を行くポンポン船。長閑な景色が目に浮かびます。
石井 とはいえ、夫婦橋の下まで急峻な山道を降りていくのが大変だったそうです。やがて、佐原から木製の和船を5杯ほど買い、岸辺に貸舟として並べました。
本誌 その後は?
石井 三島湖は農業用水のダムでしょ。そのため、夏場に田圃へ給水すると大減水となり、上流に位置する夫婦橋は不便でたまらない。大阪万博のあった昭和45年頃、現在の奥米橋の際へ移動しました。
本誌 開店そして移動。先見の明と決断力に富むお父様だったのですね。
石井 但し、見ても分かるとおり、此処はポイント的に不利。父は何時も「他の舟宿は深場の下流や変化に富んだ上流に釣り場が広がっている。一方石井は見える範囲しかポイントがない」と言っていた。このポイントの弱さは、後々に至るまで石井の悩みとなります。
本誌 ところで、石井さんにとって最初の魚釣りは?
石井 小学生の頃、ご飯粒をエサに店の前でヤマベ釣り。次はサシでのワカサギ釣り。当時は冬になると、店の前に結構厚い氷が張ったんです。氷の上に乗った記憶さえある。
本誌 地球温暖化の今では考えられません。他の魚は?
石井 ダムが出来た時、フナやコイの他にウナギも放したんだね。ハリにザリガニつけて一晩ぶら下げると掛かる。子どもの頃、ちょいちょい釣っては食べてました。
本誌 三島湖でウナギ!
石井 けれど、ダム湖だから海へ産卵に行けない。戻ってもこられない。釣ってしまえばオシマイで、その内いなくなっちゃった。
本誌 小学生だった昭和40年代、へら鮒釣りの様子は如何でした?
石井 日曜が来る度、小学生の私が店を手伝ってました。
本誌 三島湖がブームとなっていく時代ですね。

2 最盛期の繁盛
石井 そうです。当時、三島湖には舟宿が5軒。舟は合わせて800杯ほどあったけど、日曜例会は予約を取るのが大変。150杯の石井にも観光バスが3台4台とやってきた。雨でも台風でも賑わいました。
本誌 繁盛ぶりが目に浮かびます。
石井 母が朝御飯と弁当の支度を一人でやっていた。奥米橋の舟宿の2階、夫婦橋近くの自宅2階に釣り客を泊めていて、20人ほどが雑魚寝。布団干しも浴衣の洗濯も母の仕事で…大変だった姿を見ています。舟の掃除も父母と私の3人でやった。父と一緒に曳船にも乗った。そうそう、1時半にはお客が来たの。店の人間が起きる前、懐中電灯で桟橋を照らし、先端の舟に荷物を置いていく。
本誌 今では考えられない光景です。
石井 夜中に起こされ、朝御飯を運んだりするのを手伝いました。店の中は煙草の煙でもくもく。お酒飲んで盛り上がるどころか、釣りにならないくらい飲んじゃう人もいた。
本誌 私が三島湖へ初めて行ったのは昭和55年ですが、当時も朝からお酒の人は珍しくなかった。出舟の時など殺気立っていて怖かった。「此の世界でやっていけるのか」と思いました。
石井 他に趣味のない、へら鮒釣り一本の人が多かったからかなあ。
本誌 そんな状態で、お母さまの身体は大丈夫だったのですか?
石井 いや、日曜日だけが極端な混雑だったの。週休2日制が普及していなかった当時、土曜を含めて平日はガラガラ。だから出来たんです。
本誌 昭和50年代後半でも、土曜日は確かに空いてました。
石井 平日来るようになったのは、週休2日に加えて年金生活が増えた最近のことです。
本誌 加えて当時は舟数が多かったこともあり、釣れなかった。日曜日などポイントを外すとオデコの危険さえあった。そのため、真っ先に飛び出せる、桟橋突端の舟の確保に拘ったのでしょう。
石井 そう、当時日曜例会の優勝は精々3キロ4キロ。
本誌 昭和50年頃の記録を見ても、平日例会で優勝10キロ前後。日曜日が釣れなかったはずです。
石井 三島湖が釣れるようになったのは途中から。「例会で20キロ釣れるようにしようや」を合言葉に舟宿1軒あたり200万円、5軒で1000万円を集め、全放協への委託と舟宿の自主発注で年間20トンの放流を続けました。
本誌 其のおかげで昭和50年代後半から釣果が急速に伸び、今があります。そして石井さんの其の後は?
石井 高校卒業後は東京へ出て建築の道へ進み、マンションの設計とかを46歳頃までやってました。
本誌 三島湖から離れたのですね。
石井 日曜日などは手伝いに帰り、父と手分けして舟を曳くこともありました。今年が還暦で、此処へ戻って舟宿を継いでから14年になります。
本誌 ところで、三島湖は誰が所有しているのですか?
石井 千葉県が築いた農業用水のダム。各舟宿が君津市を通じて、千葉県から桟橋の占有許可(桟橋を造って舟宿を営業する許可)を頂いています。合わせて湖面管理も任されている。
本誌 舟宿を経営できるのは此の土地の人だけですよね。
石井 ダムに沈んだ小糸川の周辺に住み、畑や田圃を持っていた人たちです。漁業権はないし陸釣りは誰でも出来るけど、舟宿の経営は難しいでしょう。
本誌 そして、農業用水の宿命とはいえ、夏になると大減水してしまう。
石井 そうです。東京湾に面した富津の先の田圃まで、三島湖が面倒みているためです。
本誌 「上流の豊英湖が助けてくれれば良いのに」と何時も思うけど。
石井 豊英は千葉県が新日鉄君津製鉄所のために造ったダム。新日鉄が水の再利用可能なプールを造り、高炉の数も減った現在、水の需要は一時ほどではないはずだけど…製鉄以外の目的で水を落としてもらうのは簡単ではありません。
本誌 豊英を見ていると夏場でも満水。
石井 そう、千葉県の農業部門と工業部門で遣り取りがあり、この7月8月は水を援助してくれるはずです。去年は6月に田圃の需要が増えて三島湖が大減水となり、といって豊英から水を流してもらえず、一気に10m減水しちゃった。梅雨に入ってことなきを得ました。毎年、梅雨が明けると簡単に10m減水してしまうのが三島湖です。
本誌 ダムと云えば、老朽化に伴う堰堤工事の将来が見えず、三島湖へのへら鮒放流が止まっています。日研ニュースで最近の放流状況を見ると、平成29年の4.118トンの後は平成30年、令和元年が共にゼロ。昨年の令和2年に全放協から0.15トン、日研から同じく0.15トン。3年合わせて0.3トン=300キロ。三島湖にしてはやや寂しい状況です。
石井 ワカサギの放流も止まってる。ダムの堰堤工事に3年は掛かるそうで「本格的放流は工事が終わった後で考える」ことになってます。
本誌 一方、舟宿は2年続けて小べらの放流を続けてくれている。
石井 そう、養魚場の人も「1年あればどんどん育ちますよ」と言ってます。
本誌 現在、エサ打ちすると水面でヤマベが盛んに跳ねる。理事長の遠藤が「ブラックバスはエサとなる水生動物との共存関係で生息数が決まる宿命を負っている」「バスの資源量(生息数)は安定期に入った」と言っているとおり、三島湖においても共存可能な環境が生まれつつあるのでしょう。自信を持って放流を続けてください。小べらが残って育つことを願ってやみません。
石井 小べらの放流について理解くださり嬉しく思います。ただ…正直なところ、今後のへら鮒放流はゼロにはならないだろうけど「お客の動向に掛かっている」面がある。
本誌 分かります。売上を期待できないところに投資はできません。私たちも「釣れないから行かない」ではなく「釣れるようにするため行こう」が大切。とはいえ、放流してない割には釣れますねえ。最近の釣況を見ても、5月27日、イーグルへら鮒会の優勝は豚小屋で41枚32.1キロ。6月1日も竿頭は鳥小屋で74枚。3年間300キロで、此の数字はスゴイ!
石井 但し、今は上下の差が激しいかな。百戦錬磨のへらが多いため、平均して10キロ20キロは釣れない。食いが悪かったり、日曜日に並んだりすると苦戦します。
本誌 そう仰いますが、今日も12杯並んだ豚小屋、コーラ感嘆とオカメのセットで10時半までに良型中心に15枚釣れた。その前5杯の入釣だった時は、同じ10時半までに26枚。三島湖は底力があります。
石井 ありがとうございます。とはいえ、ワカサギを見ていると、放流量と釣果は明らかに直結している。諏訪湖から1箱に100万粒入った卵を買ってくるのですが、10年前の30箱3000万粒の時は一人あたり200〜800匹と釣れていた。それを10箱1000万粒に落とすと釣れない。
本誌 生態系が安定したとはいえ、バスがどれだけ食べるか、ワカサギがどれだけ残るかなのですね。
石井 バスが入る前は放流しなくてもワカサギが釣れました。しかし、三島湖にバスを放流した記録はないのですよ。
本誌 昔は秘密放流とか言われたけど、最近の研究では「鳥が水草と一緒に魚の卵を食べる。鳥は飛んでいった先の湖沼に糞をする。消化を免れた卵が其処で孵化する」形で魚の棲息範囲は広がるそうです。そして、現在の三島湖はバス釣りに支えられている。

3 バス釣りへの転換
石井 そう、石井があるのはバス釣りのおかげ。先ほどお話したとおり、此処はポイント的に不利でしょ。石井には数より型を求める人が多く、Cロープの底釣りは大きいのが釣れると人気だけど、其処も夏には丘になっちゃう。
本誌 へら鮒は下流の深場へ落ちてしまいます。
石井 そのため最盛期の頃も、他の舟宿で舟が取れなかった会と昔馴染みのお客に支えられていました。それが、釣り会の減少と高齢化で殆ど来なくなってしまった。
本誌 企業努力の範囲を超えていますね。
石井 今年に入って石井を使ってくれた会は、ドボ健さんのいる日研文京をはじめ3つだけ。
本誌 驚きました。それは辛い。
石井 フリーの個人も高齢化とコロナで来ません。野釣りの衰退を感じずにはいられない。若い人は何処へ行っているのですか?管理池?
本誌 管理池の方が明らかに客層は若い。そして「フラシを持っていない人さえいる」と聞きます。
石井 管理池の魅力は何でしょう?
本誌 私が考えるに…まず、管理池は費用的にも時間的にも野釣りより手軽。8〜9尺1本で一年中ウドンセットという人もいるそうです。そして、野釣りは一場所二場所の面があるけど、管理池は腕の勝負になる。私は「マグレのある野釣りが好き」だけど「直ぐに浮子の動く+場所が悪かったの言い訳が効かない+勝負の緊張感に満ちた管理池が好き」という人も多いでしょう。なにより、管理池にはメーカー主催のトーナメントがあります。毎月の例会を積み重ねて年間優勝しても、残念ながら昔ほどの評価はない。しかし、トーナメントで勝てば雑誌に大きく取り上げられる。その魅力は大きいと思います。
石井 なるほど。
本誌 ところが、トーナメントがへら鮒釣りの裾野を広げたかというと…私はドウカナと思うのですよ。トーナメントに熱中してるのは200〜300人程度と云われています。しかも上位を争う人は限られている。その一方で野釣りから若い人を遠ざけたとなると、期待する程の効果が果たしてあったのか。何処の舟宿でもお客の高齢化は深刻です。
石井 なるほど。
本誌 メーカー主催の三島湖大会に何百人と集まり、優勝者が雑誌で大きく取り上げられたら…と思うことがあります。事故のリスク、参加者の管理など様々な問題はあるけれど、何処かのメーカーが大野釣り大会を企画してくれないものか、優勝者が最高の栄誉に包まれないものか。私の願いです。ところで、石井さんはへら鮒釣りの減少とバス釣りの人気にどのように対応されたのですか?
石井 バス釣りは徐々に増えていきました。
本誌 最初は勝手に入ってきたのですよね。
石井 そうです。車が降りられる長倉台などから、フローターやバスボートで入ってきた。
本誌 追い出したりはしなかったのですか?
石井 勝手に舟を入れるのは三島ダムの禁止事項かもしれない。但し、それはダム管理者の千葉県が追い出すべきで、車が降りられないよう柵を作ったりするのが本筋でしょう。
本誌 分かります。
石井 千葉県との協定書を見ても、舟宿による湖面管理はゴミ収集などに留まり、バスボートに退去を求めることまでは含まれていません。夜中にバスボートを浮かべてる人を見つけ、警察呼んで注意したことがあるけど、これはあくまで危ないから。夜中に石井の桟橋で釣ってる人が居て、出て行ってもらったことがあるけど、これもあくまで危険+不法侵入だから。バスボートに対しては黙認の状態が続きました。
本誌 そしてバス釣りを正式解禁。
石井 4年前の平成29年11月17日、三島湖はバサーへの舟の貸し出しを始めました。
本誌 当時を振り返って如何ですか?
石井 実は、私の父は「お客が減ってるし廃業かなあ」「私が死んだら廃業かなあ」と言ってました。そして、父が世を去った平成29年、廃業を考えた。
本誌 私「石井廃業」の情報を聞いて驚きました。
石井 そう、へら鮒のお客は全く来ないし、平成29年を最後に店を閉めるつもりだったのです。しかし、バス解禁となり「ちょっとだけやってみようかな」と思った。
本誌 その結果は?
石井 当たりました。
本誌 良かった!私は「舟宿が釣り場を守ってくれている」「舟宿がなくなれば釣り場が消える」と思ってます。バスのおかげで三島湖のへら鮒釣りが続く。舟宿の英断に感謝する他ありません。そして、現状は如何ですか?

4 バスボートの繁盛
石井 最も大きかったのは、石井の悩み「ポイント面での不利」を克服できたことでしょう。
本誌 なるほど、エレキで動くバスボートは移動が自由自在!
石井 そう、バス釣りならサービスの面でお客を呼ぶことが出来るのです。例えば、バサー=若い人と思うでしょうが、決してそんなことはありません。石井に来るバサーの最高齢者は75歳。20〜30代ならともかく、40〜50代になると1個25キロのバッテリーを運ぶのは大変。
本誌 私も桟橋で持ってみましたが、あれを車から運ぶのはキツイ。
石井 昔は店から桟橋までの階段が急で、それが辛くてお客が離れた。バッテリーについて、水平運びならともかく、上へ下へ運ぶとなると苦情が出るのです。一度来てオシマイの人も少なくなかった。
本誌 その階段を改善したのですね。
石井 そうです。なだらかなスロープにして、重い荷物を運ぶリフトもつけたら、三島湖での評判が急上昇し…お客がやってきたのです。昔は4〜5艇だったのが、毎日15〜20艇出るようになった。バスは投資の甲斐があります。
本誌 となると、現在石井の売上の多くはバス釣り。
石井 殆どと云って良いでしょう。
本誌 おお、殆どですか!
石井 加えて、へら鮒釣りは放流バッジの割引があるから2千5百円。一方、バスボートは一人乗り3千円、2人乗り4千円、3人乗りは5千円。その半分に湖面を移動するためのエレキも貸しているから…一人乗りに足で動かすフットコンエレキ1機(3千円)とバッテリー2個(2千円)をつければ8千円。パワーのある高性能エレキ(5千円)なら1万円。
本誌 驚きました。へら鮒釣り4杯分!
石井 バサーは8千円や1万円を許容してくれます。三島湖は各舟宿ともバスボートを20艇に抑えていて、石井も同じく20艇ですが…その半分にはエレキとバッテリーがついている。「竿さえ持ってくれば釣れます」が石井のアピールポイント。おかげで蘇りました。
本誌 良かったです!舟宿で景気良い話を聞くことが減っているので、殊に嬉しく思います。とはいえ、投資は大変だったでしょう。
石井 安くありません。殊に高性能エレキなら新品で30万円を超える。
本誌 え!
石井 だから借りてくれるのでしょう。そして、舟宿が通常持っているレンタルエレキはパワーが弱くて遅いため、高性能エレキに人気が集まる。将来的には増やしていきたいと考えています。
本誌 今日は初めて聞く話ばかりです。三島湖の各舟宿が20艇に抑えているのも、経営判断からですか?
石井 そのとおり。ボートを増やすと、バスがスレて釣れなくなる。そしてお客が離れていく。三島湖はそうなりたくありません。
本誌 バスは大型を狙うのですよね。
石井 そうです。へらは数釣れて当たり前だけど、バサーは大きいのが1本釣れればよい。さすがに60オーバーは滅多になく、石井でも解禁以来1〜2本しか出ていません。50pが基準。「50オーバーが1本来れば嬉しい」のがバス釣りです。
本誌 そうなのですか!へらを釣ってると、ボートの下に大型バスが居るのは珍しくないどころか毎度のこと。こぼれエサを求めて小魚が寄り、小魚を求めて大型バスが寄るのでしょう。私、バサーとおしゃべりするのが好きで…必ず「此処に投げてごらんなさい」と声を掛ける。高確率どころか大概一発で釣れて、大いに喜ばれます。
石井 そう、釣れるんです。ところが上級者やプロはそれをやらない。
本誌 え!
石井 それは「へらパターン」と呼ばれる。へらの釣り人と仲良くしてボートの近くで50p釣っても、尊敬されない。
本誌 初めて知りました。とても喜んでくれて、我がことのように嬉しいけど。
石井 へらのボートが15時頃上がった後に投げても釣れる。寄ってる桟橋の陰に投げても釣れる。初めての人が其れでバス釣りを好きになってくれるのは大いに結構ですが…本当のバサーは嫌う。何もない場所で釣ってくるのが名誉なんです。
本誌 奥深い世界ですね。さて、バスは放流できません。三島湖はどうやって其の資源を守り育てているのですか?
石井 自然繁殖に期待する他ありません。そのため、大切なバスが傷まぬよう、釣った魚をエアポンプを付けた水箱に入れて桟橋へ持ってくる「ライブウエル」は禁止。アメリカのトーナメントとか、優勝者が大きなバスを高々と掲げるでしょ。あれはダメ。釣果の記録は現場での写真に限ってます。
本誌 へら鮒の現場検量以上ですね。
石井 但し、三島湖は産卵時期から水が減っていくのが辛い。桟橋周辺に産んでくれれば良いけど、岸辺に産卵すれば卵が干上がってしまう。
本誌 もっともです。
石井 バスの稚魚が沢山泳いでいるので、まあ繁殖率は高いみたいですが、ワカサギとかの大量放流で資源を維持する必要があるでしょう。三島湖は冬場の釣りがないので、ワカサギが有効かもしれません。

5 へら鮒釣りとの共存
本誌 バスの売上げが伸びて舟宿の健全経営が続けば、へら鮒釣りの維持にも役立つ。バス釣りの隆盛に感謝です。
石井 もちろん、へら鮒釣りを軽視しているわけではありませんよ。三島湖にとっては同じく大切なお客。「工事終了後、放流量を前の4〜5トンには戻したい」と考えています。
本誌 ありがとうございます。
石井 但し、高齢化の中でどれほどの人がへら鮒釣りに来てくれるかは大切。
本誌 よく分かります。
石井 例会が減った現在、50代60代までの個人に三島湖へ来ていただくにはドウスレバ良いか。共に考えなくてはいけません。
本誌 本当は例会を行う釣り会が大事ですね。小山圭造さんも「例会は10人が10人じゃない。試釣に来る。雨が降っても例会は来る」と仰ってる。だからこそ、例会の集まりでもある日研は大切。
石井 けれど若い人の例会離れと云われ、野釣りの例会はどんどん減ってるでしょ。
本誌 「人間関係、上下関係に縛られるのがイヤ」と云いますね。とはいえ、例会で友人と仲良く競い、共に歳を重ねていくのは楽しい。私も赤坂支部で42年目。殆ど人生と一緒です。互いに礼儀正しく、丁寧な言葉で接していれば、釣り会ほど楽しいものはありません。簡単にイヤと言ってしまうのは…あまりにモッタイナイ。一方、バサーは個人が多いのでしょ。
石井 石井がバス釣りを始めてから、来てくださったお客の累計は4年間で5千人。
本誌 え!
石井 もちろん1回の人も常連になった人もいますが5千人。バスは新規のお客が多いのです。
本誌 そう云えば、ボートを予約できる石井のホームページは立派ですね。
石井 一人では対応できないため、ボートの電話予約は受けていません。全てネットを通じて行い、当日0時まで予約可能。
本誌 驚きました。
石井 建築の仕事でパソコンに慣れていたので、ネットを通じた予約方法を学び、基盤となるソフトを探してボート向きに改良しました。リアルタイムで予約すると枠が埋まり、満杯になれば満艇と出る。こんな舟宿は他にないでしょう。
本誌 素晴らしい!ポイントの不利を「機器の充実と顧客サービス」で補ったのですね。さて、今後の抱負は?
石井 へらもバスも三島湖にとって宝。共に大勢の釣り人が楽しんでくれることを願っています。
本誌 へら鮒釣りの維持のためにも、バス釣りの繁盛が続きますよう。なにより「ニワトリタマゴ」ではないけれど、へら鮒の放流に目を向けていただくべく、私も三島湖へ足を運ぶよう心がけます。新しい組合長としてご活躍ください。此れからも宜しくお願い申し上げます。
 
「静岡県における放流バッジの価格について」


危機感がつのる
(1971年の日研ニュースより)




全放協の発足
(1972年の日研ニュースより)





横利根川への放流(2020年)




 精進湖への放流(1973年)




  西湖への放流(1974年)
   静岡県の方から寄せられた質問にお答えします。
 まず、放流バッジを販売しているのは日研ではありません。「全日
本へら鮒放流協議会」です。
 1972年(昭和47年)の発足当時はアンチ日研の気風もあり、「他団体
の協力も得てへら鮒放流の裾野を広げる」ため、日研とは別組織とな
りました。但し現在、ボランティアとして放流にあたる人々の多くが
日研の会員でもあります。「全放協と日研との関係が分かりにくい」
との声は多く、将来的には両者の統合を目指しています。
 そして、放流バッジの販売価格は現在1,500円。昭和47年の販売開始
当時は1,000円でした。現在の物価に直すと3,000〜4,000円にあたるでし
ょう。「現在の価格は物価上昇に沿っていない」とも云えますね。放
流バッジ=放流への寄付であり、複数個を購入くださる方もいます。
 さて、へら鮒釣り人口が多い関東と異なり、へら鮒釣り人口の少な
い地域では、1個1,500円×販売個数では十分な放流量を確保できませ
ん。そのため、本来1個1,500円ではありますが、「協力をお願いす
る」形で、全放協の地区組織が独自に販売価格を上乗せしている地区
もあり…東海地区の「プラス500円」が此れにあたります。もちろん、
誰の収入にもなっていません。東海地区におけるへら鮒放流量の増加
につながっています。
 
 「国内外来種だから駆除して良い」には全く法的根拠がありません
           日研理事長・遠藤 克己、同広報部長・吉本 亜土


愛知県 佐屋川




静岡県 田貫湖




石川県 木場潟
   池の水を「かいぼり」するテレビ番組があります。番組の中でへら鮒は「国内外来種」と位置づけられ、駆除の対象となっています。これに対し「日研はテレビや議員に訴えるような行動を取っていない」との批判を頂き、日研ニュースや釣り雑誌で説明してきましたが、今も「何故?」との声が寄せられ…此の問題に関する皆さまの関心の深さを感じます。改めて説明させていただきます。

 まず、「国内外来種という名の生物は存在しない」「池に棲息する生物は地権者(池主)の所有物である。愛玩、食用、駆除、販売など全て地権者の自由である」。この2点を是非ご理解ください。その上で話を進めます。

 近年、山形県新庄市の最上公園の池、埼玉県上尾市の上尾丸山公園大池において、テレビ番組の撮影などを兼ねた大規模な「かいぼり」が実施されました。そして我がへら鮒は、鯉などと同様「国内外来種」として敵視され、駆除の対象となりました。へら鮒とへら鮒釣りを愛する人々の当惑は大きかった。但し、最初に記したように「へら鮒は法律で国内外来種と認定されているため駆除された」わけではありません。

 確かに国が2005年6月に施行した「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」(外来生物法)では、問題を引き起こす海外起源の外来生物を「特定外来生物」として指定。その飼養、栽培、保管、運搬、輸入といった取り扱いを規制し、特定外来生物の防除などを行うことを条文化しています。しかし「国内外来種を規制する」とは一言も記されていない。環境省は特定外来生物の指定予備群として「生態系被害防止外来種リスト」を作成しており、「国内由来の外来種」も対象にはなっていますが、鯉もへら鮒(ゲンゴロウブナ)も当該リストには載っていないのです。当然、琵琶湖から全国へ放流されるアユも載っていません。では何故、テレビに出演する自称専門家が言いたい放題なのか?

 それは、その水域には地権者(池主)がいて、水域に棲息する魚類について「地権者(山形県、埼玉県の場合は市)に所有権がある」と認識されるためです。難癖つけて駆除しようが食用にしようが、遣憾ながら基本的に「所有する者の自由」と解釈されるのです。我々が救ってくれと懇願しても、他人のモノをどうすることもできません。逆に、皆さまが鯉の養魚池を持っていたとしましょう。此の池の鯉を自由に食べたり売ったり出来るのも、池主=鯉の所有者という認識があるおかげ。もし此の認識が認められなければ…鯉を眺め、時に麩も与えている近所の人が現れ「私にとって心の安らぎです。獲らないで欲しい」となりかねません。お分かりでしょうか。

 ゆえに山形県のケースでは、「最上公園へら鮒愛好会」が中心となって陳情した結果、以前から行政の許可を得てへら鮒を放流してきた側の所有権が認められ、テレビ取材のかいぼり時は一時的にヘラブナを別の場所に移し、終了後に再度許可を得て原状回復したのです。しかし、そのような事実は恣意的なテレビ番組では当然説明されません。 
 同じようなケースは九州の名釣り場・北山ダムにおいても起こりました。ダムゲートの補修および湖岸の補強工事に伴う「ダムのかいぼり」に対応し、長年にわたる放流実績を認めた九州農政局はダム上流に「へら鮒避難池」を造り、へら鮒を保護してくれたのです。これに対し埼玉県の例では、遺憾ながら我々も協力した署名運動の甲斐もなく、へら鮒は駆除されてしまいました。しかし、此れは「国内外来種だから」ではありません。池主である市の方針のため、また放流実績も認められなかったため、我々は引き下がるしか術がなかったのです。

 ご理解いただけたでしょうか。そして「放流は不安定な土台の上に成り立っている」と気づかれたと思います。此れまでへら鮒が護られたのは「放流実績が認められたから」。逆に「放流を認めれば、何かあった時、ギャーギャー言われて工事が進まないかもしれない。ならば放流など認めない方が良いかもしれない」となる危険もあるのです。そのため、へら鮒を護った人々は当局と細心の注意を払って交渉にあたりました。これからも地域の観光および経済の振興にも役立つ放流が続けられるよう、私たちは池や川の管理者との関係を密に保たなくてはなりません。

 これらの活動で我々日研が頼りにしている組織は、「公益財団法人 日本釣振興会」(通称・日釣振)です。同会とは、ブラックバス問題で利害が一致しなかった時期もありましたが、現在は国内外来種問題などで歩調を合わせて活動を展開しています。日釣振は国会議員などで構成される「釣魚議員連盟」とも関係が深く、社会的な影響力も充分です。皆さまも日研や日釣振の会員に登録し、社会的活動に積極的にご参加ください。宜しくお願い申し上げます。

 
シリーズ「この人に聞く」第85回 中島屋 斉藤 輝雄 氏


中島屋主人 斉藤 輝雄 氏




昭和20年代、横利根川と繋がっ
ていた「川脇の内川」で釣る
土肥 伸




舟の並ぶ横利根川
(へら鮒 昭和43年11月号)




早春の横利根川
日研機関紙「はねうき」
昭和47年
   昭和25年の創立以来、日研と横利根の関係は極めて深いものがあります。なにより昭和18年、土肥伸が大阪から横利根の川脇へ移住したことが、関東におけるへら鮒釣り発展の基礎となりました。釣舟組合の組合長を務める斉藤輝雄氏にお話を伺います。

本誌 大会で例会で、お世話になっています。ありがとうございます。まず、お生まれをお聞かせください。
斉藤 昭和21年11月9日。佐原生まれの佐原育ちです。
本誌 初めての魚釣りは?
斉藤 子供の頃、藪の篠竹を切った竿にミミズをつけてのマブナ釣り。釣り場は近所の水路でした。
本誌 「水郷」という言葉どおり、当時は水路が沢山あったのですか?
斉藤 あったどころか、当時は水路が道路。今は中島屋の中華料理店になっている場所からバイパスを越えて、我が家の田圃の方まで水路が伸びてました。
本誌 此の辺りも、水郷のイメージどおりの景色だったのですね。
斉藤 そうです。道は精々自転車が通れる程度で…田圃に行くのは水路、収穫した米を運ぶのも水路。中島屋の前には現在の県道が走っていたけれど、当時は砂利や石ころだらけの道でした。あの幅広のバイパスが出来たのは耕地整理が終わった後、昭和50年代半ばです。
本誌 中島屋(茨城県)の、横利根を挟んだ対岸(千葉県)もですか?
斉藤 もちろん。中島屋対岸のポイント「荒河吐き出し」は、埋め立てられた荒河川の跡。此の水路を通って、中島屋から丸江湖や与田浦へ往復していたのです。
本誌 昔は船頭さんが案内したと聞きます。
斉藤 農閑期になると、近所の30人ほどが舟と共に中島屋に手伝いにきました。釣り客1〜2人を乗せ、寒い時期なので炬燵も舟に積み、水棹を操って連れて行く。昭和20年代は竿2〜3本並べてのマブナ釣りが主流でした。 
本誌 日研誕生が昭和25年。へら鮒釣りは始まったばかりですね。となると、斉藤さんは土肥伸や小林隆夫は覚えておられない。
斉藤 残念ながら記憶にありません。日研で云えば、米地南嶺さんや山口幸司郎さんからです。
本誌 釣り人を乗せた舟は、元々農業用の舟なのですね。当時の写真を見ると、牛まで運んでいます。
斉藤 そう、米俵なら14〜15俵は載る舟。私も父を手伝い、中島屋の本家から借りた牛と一緒に舟で田圃へ通ってた。当時、ワラを切って牛にエサをやるのは子どもの仕事。本家は軍馬のエサになる秣(まぐさ)も作っていて、此処から利根川経由で東京へ送ってました。 
本誌 斉藤さんは子どもの頃から水棹が使えたのですか?
斉藤 もちろん。今でもやれば出来ますよ。
本誌 中島屋が旅館を始めたのは何時頃ですか?
斉藤 当時、東京からの日帰りは無理。小学生の頃、既に旅館業の許可を取って釣り客を泊めていた。丁度、東京から竜ケ崎、新利根川、上の島新川経由で来る釣りバスの終点が中島屋で…繁盛しました。
本誌 では、当時から沢山の舟を持っていた。
斉藤 いや、子どもの頃、中島屋として持っていた舟は10杯もありません。先ほど話したように、近所の人が舟と共に船頭としてやってくる。空いてる舟だけ借りることもありました。当時は今のような簡単なカッパギ(角棒の両端に板を付けた、舟の推進具)はなく、釣り人が自分で水棹を操る。船頭つきも船頭なしも、舟は近所から借りてくる方が多かったです。
本誌 「昔の人は先ず櫓と水棹の扱いを学んだ」と聞きますね。ところで、中島屋は「ダンゴ屋」とも呼ばれますが、斉藤さんにとってダンゴの記憶は?
斉藤 実はダンゴを売っていた記憶はありません。食堂の左奥、玄関のある場所(大会の度、企画部が検量カードを集計する場所)でダンゴを焼いていたようですが、私が小学校の頃にはやめてました。
本誌 ところで、フィクサーとして知られ、釣りも好きだった児玉誉士夫の随想「生ぐさ太公望」に中島屋が出てきます。夕食にナマズ鍋が供され、珍しく釣り客ならぬアベックが泊まり合わせて家が揺れ…翌朝「ナマズなど食うから地震が起きただべ」というオチなのですが、ナマズ鍋は覚えておられますか?
斉藤 覚えています。ナマズの肉、焼いたナマズの皮、鶏の挽肉の団子と野菜を味噌で煮込んだ鍋。
本誌 当時は七輪ですか?
斉藤 そうです。
本誌 風情ありますね。
斉藤 けれど、鍋より蒲焼きの方が多かった。ウナギは当時も高かったので、ナマズなんです。川魚屋から仕入れ、食堂から真っすぐ川へ出て左10mの所にあった生簀に泳がせてました。
本誌 河畔の宿でナマズ。いいですね。ところで昭和40年代、横利根は大人気で…寒べらのシーズン、すなわち真冬でも夜中の12時前に出舟しちゃったと聞きます。大変だったでしょう。
斉藤 例会のバスが着くと、貸し出しの豆炭アンカと毛布を積み、ポイント確保のため次々出舟。
本誌 今ほど防寒着も発達していない時代、アンカと毛布で夜明けを待つ。しかも当時は「横利根が凍った」と聞きます。昔の人はエラカッタと云う他ありません。事故は起こらなかったのですか?
斉藤 落ちた人は結構います。けれど幸い「水に落ちて水死」という記憶は今に至るまでない。船から上がった後の脳梗塞や心筋梗塞はありますが…。
本誌 此れを言うと皆から怒られるんですけど、私「死んで落ちる人はいても、落ちて死ぬ人はいない」と思ってる。但し、水から上がれずに死ぬリスクは極めて高い。何年か前の団体ベストファイブ戦で中島屋対岸に舟をとめ、魚に持っていかれた竿を追いかけて前から落ち、駆け付けた斉藤さんに助けていただきました。
斉藤 よく覚えています。
本誌 あの時、9月初めの軽装だったけれど、コンクリ護岸へ全く上がれなかった。斉藤さんにようやく引っ張り上げていただいた。崖に両手を掛けて身体を持ち上げるなんて…映画の世界です。
斉藤 そう、あの高さがあると護岸は上がれません。
本誌 ボートだって、水中から船べりに手を掛けて上がるのは難しいでしょう。だからこそ、助けてもらうまでの時間稼ぎとしてライフジャケットは絶対必要。私、声は枯れちゃうので、必ず呼子(ホイッスル)を持ってます。映画「タイタニック」の女の子も最後、呼子のおかげで助かったでしょ。
斉藤 ダウンジャケットも、空気が入ってるから暫くは浮いてると思うけど。
本誌 やがて水が浸みたら、余計に重くなるでしょう。いよいよ上がれない。横利根なら誰かが助けてくれる可能性が高いけど、寒い時期、三島湖や豊英湖などの奥、誰もいない場所で釣るのは危険だと思います。さて、昭和40年代の混雑…源義経の八艘飛びみたいに、水上を舟から舟へ移動できそうな写真が有名ですが、中島屋は如何でしたか?
斉藤 日曜日など、近所のおばさん2人に手伝ってもらい、朝ご飯と昼の弁当用に、お米を2斗(36リットル、約30キロ)炊いてました。夜中に着いた釣りバスから降りた人が朝ご飯を食べ、昼の弁当を持って出舟していく。寝るヒマなどありません。殆ど徹夜でした。
本誌 2斗ですか!オカズは?
斉藤 朝ごはんは海苔、玉子、納豆、お新香に味噌汁。今と同じですね。昼の弁当は、持ちが良いので塩ジャケ。
本誌 商売繁盛とはいえ大変でしたね。出舟時間が決まったのは何時頃ですか?
斉藤 昭和40年代の後半じゃないかと思います。
本誌 当時、中島屋の舟の数は?
斉藤 自前の舟が100杯ちょっと。冬場は与田浦のはなわから30杯借りてきて130杯。逆に春先は与田浦が忙しくなるので、中島屋からはなわに舟を貸していました。
本誌 はなわ。関べらの和田敬造会長が応援した舟宿ですね。ところで当時、横利根全体で舟宿は幾つあったのですか?
斉藤 下流から平野、中島屋、小松屋、寺島、利根食堂、堀井、黒田、西代のT字路のところに根本、西代屋(へら鮒社の創業者、根本良一氏の実家)、水郷館、高橋、サトー、一竿、柳町。
本誌 二七屋とあづまは?
斉藤 2軒は其の後に生まれました。他に小松屋の対岸に、組合には入ってないけれど舟を貸していた岩井があった。中島屋以外は左程の舟数ではなかったため、全体では500杯程だったでしょう。
本誌 現在の4倍ですね。宿泊は?
斉藤 旅館業の許可を取っていたのは中島屋と小松屋。但し、部屋がある所は懇意にしている釣客を民宿のように泊めていた。近所の農家も泊めてました。
本誌 貸舟と宿泊、大賑わいだったことが分かります。それが今…秋季大会翌日の11月9日(月)、小松屋から出舟して小松屋上流の最初の鉄ピン、すなわち前日の優勝ポイントを目指したら、釣客は私一人。他に中島屋から関べらの人が出ていて、合わせて二人。平日とはいえ、放流日翌々日で浮子は動きっぱなし。楽しい釣りが出来ることが分かっているのに二人。胸が痛みます。
斉藤 そう、平日は誰も来ない日もある。
本誌 水棹が苦手という人が増えているのでしょうか?後ろに綺麗にハの字にとめるのは無理でも、地底の軟らかい舟の前に刺せば、私でもなんとかなるのに…。それでいて、陸釣は賑わっている。
斉藤 陸釣の人たちは舟に乗りません。
本誌 そう、大会や例会でお世話になっているので、横利根へ行ったら「舟に乗る」のがマナーだと思ってます。
斉藤 ありがとうございます。確かに、舟宿が交代で陸釣の人から放流協賛金300円を集めているけど、日研の人は見かけない。「この人ウチから出たことある」という人も見かけない。舟と陸では世界が違うような気がする。
本誌 気を遣ってるのは私一人じゃないんだ。
斉藤 護岸が出来てからへら鮒釣りを始めた。そんな人も多いような気がします。毎日来る人も珍しくありません。
本誌 なるほど。年金生活の楽しみに「横利根で陸釣」の人も多いのですね。そうなると、2千円の舟代でも確かに負担を感じるでしょう。とはいえ、中には支払いに抵抗する人もいて…大変と伺っています。
斉藤 国交省に「川の鉄ピンを抜くべし、ロープを外すべし」と訴える方もいます。
本誌 あれは何のためなのですか?
斉藤 「此処から沖へ舟をとめないでください」の目安です。
本誌 私、鉄ピンは水棹の補助、ロープは陸釣除けと思ってました。
斉藤 そうではありません。昔は土砂を運ぶ船や台船が多く、乱暴な運転をするケースも見られ、沖へ舟をとめると危険だった。そのため、国交省に届けたうえで、舟宿が自費で鉄ピンとロープを整備したのです。
本誌 初めて知りました。危険防止だったのですか!
斉藤 緩んでいる箇所もあるため、陸釣除けと思われたかもしれません。中島屋周辺はロープが緩む度に私が張り直し、ロープづけで舟がとまるようにしていました。
本誌 一日遊んで300円。放流資金になるのだし、気持よく払った方が楽しいと思うけど…。
斉藤 そういう人ばかりだと良いのですが…。漁業権がないため、あくまで協力金。強制力はありません。
本誌 その300円。釣れる横利根の元「仕切り網」にも使われるのでしょう。
斉藤 そのとおり。但し、組合として仕切り網の維持が難しくなり、来年5月で撤去となります。
本誌 仕切り網には感謝しています。出来る前と出来た後、釣果は明らかに違う。どのような経緯で生まれたのですか?
斉藤 「折角放流したへら鮒が逃げ出しては、横利根が釣れなくなる。それでは舟宿の生活が成り立たない。よって仕切り網で魚の逃走を防ぎたい」と…昭和60年頃でしょうか、衆議院や県議会の先生方を通じてお願いしたのです。
本誌 よく認められましたね!
斉藤 「生活のため」が大きかったのでしょう。最初は放流の11月から3月いっぱいまで。後に通年。潮来にある国交省の工事事務所から臨時の認可となっていて…3カ月に一度、平野さんが更新に行ってくれてます。
本誌 仕切り網、効果ありましたね。
斉藤 張る前は、冬になると魚が第二大曲の深場へ集結していた。
本誌 場所の取り合いが激しく、好ポイントの目印のゴミ箱を「勝手に動かした」という話を聞いたこともあります。
斉藤 その集結を避けるため、深場の手前に仕切り網を張ったのです。
本誌 臨時の許可を更新となると…5月に撤去されたら、二度と張れませんね。
斉藤 残念ながら其のとおり。とはいえ、5月に高橋三男さんが亡くなって舟宿あづまが廃業し、残ったのは平野、中島屋、小松屋、堀井の4軒。高橋さんが亡くなるまで、日曜日はお客が来るので組合でアルバイト(一日5千円で釣り好きの人が協力。仕切り網の近くで陸釣する傍ら、船が来ると仕切り網を上げる)を頼み、残り月曜〜土曜の6日間を5軒の舟宿で回していました。けれど、あづまが廃業した現在「6日間を4軒」では回しきれないのです。といって、一日5千円でアルバイトを頼むのは資金的に難しい。撤去以外に道はありませんでした。
本誌 舟宿が沢山あり、横利根が500杯の舟で賑わっていた頃より、現在の方が「数も型も釣れている」のに…残念でなりません。仕切り網撤去となると、陸釣から頂く放流協力金がドウナルカも心配です。とはいえ、仕切り網協力金ではありませんでした。放流に充てられるのだから、仕切り網が撤去されても「放流に協力をお願いします」と徴収可能なのではありませんか?
斉藤 舟宿組合で話し合っているところです。確かに今後が心配。但し、昔と違う点があります。
本誌 それは?
斉藤 護岸の下にテトラが入っていること。昔はオダが所々ある程度で、魚の付き場がなかった。そのため、春先になると北利根や霞ケ浦へ出ていった。今はテトラがあるため「全部が全部行かないのでは」と期待しています。
本誌 カサゴ釣りみたいですね。私もテトラの威力に期待したいと思います。ところで、横利根の舟宿は現在4軒。後継者も含めて今後が心配でならない。なにより、舟宿だけでは生活が成り立たないのではありませんか?
斉藤 そのとおりです。今の時代、舟宿だけでは生活が難しいため廃業となる。中島屋でも50杯の舟が出払うことは、ここ何年ありません。例会の入る日曜日でも20〜30人。8月から放流前の釣れない時期は、例会も殆ど組まれない。吉本さんが経験されたように、放流の翌々日でも一人ですから、平日はゼロが珍しくない。もちろん、風や雨だと例会以外は来ない。
本誌 私はよく「例会じゃなきゃ行かない日」という言葉を使いますが、舟宿にとって天気は重大事です。
斉藤 舟宿だけでの生活は難しい。中島屋も中華料理店があるから、今はコロナで大変だけど、なんとか持っている。現状「年金プラス舟宿」の隠居商売でないと無理でしょう。
本誌 日研は此れまで舟宿にお世話になってきました。理事長の遠藤も「舟宿を守る責任がある」と言っている。なにより、横利根の舟数は現在120杯ほど。これ以上舟宿がなくなったら…農水杯はじめ日研の行事が難しくなるのです。
斉藤 後継者が居るか居ないかも大きい。水郷館もあれだけ曳舟で行くのだから、今やってれば「一番良かったのでは」と思うけど、後継者の問題から廃業してしまわれました。
本誌 残念でなりません。他の舟宿も心配ですね。そもそも、一日大人が遊んで「舟代2千円」が安過ぎませんか?物価や給料の上昇に沿っていれば、3千円でもおかしくないように思われます。
斉藤 そう仰っていただくのは嬉しく有難い。けれど、此処から近い、旭市が運営する長熊釣り堀センターは一日1千円、北浦渚が平日1千円・土日祝1.5千円。3千円にしたら誰も来ないでしょう。
本誌 確かに東京から横利根まで100キロ。首都高、京葉道路、東関東道、ガソリン代だけで往復7〜8千円掛かる。横利根がコスト的に辛い位置にあるのは確かで…私は靖国通り→水戸街道→利根川沿いの下道を使うことも多い。竿や浮子の釣り道具、交通費に比べて「舟代が安すぎる」と思います。しかし、此のアンバランスを果たして是正できるのか?悩みが深いです。
斉藤 東京からだと、西湖・精進湖と同じ距離ですね。
本誌 なにより舟を貸すだけでなく、放流を含めた釣り場保全のため、舟宿は頑張ってくださってる。私が日研に入った40年前、先輩に「横利根で3枚釣れれば一人前」と言われた。当時を思うと「夢のような釣果」は、ただただ放流のおかげです。
斉藤 昭和40年代の後半から放流が盛んになりました。
本誌 全放協の誕生が昭和47年です。ところで、横利根は漁業権がありません。放流の申請とか許可とかはあるのですか?
斉藤 昭和40年代でしたか、香取の漁業組合が横利根に漁業権を設置しようと試み、舟宿組合が県会議員を通じて反対運動を展開。日研も猛反対して潰れました。そのため、漁業権のある新利根川は放流の度に漁業組合に連絡していますが、横利根については許可も申請も連絡も取ったことがありません。
本誌 なるほど。事実上、舟宿が横利根をお世話しているのですね。日研は「横利根と共に歩んできた」と思います。すなわち「横利根の舟宿と共に歩んできた」と言えます。お話を伺って感謝と共に心配ばかりが湧いてきました。おそらく、横利根だけでなく、多くの舟宿に共通した課題でしょう。へら鮒釣り存続のため、舟宿は欠かせません。何時もなら「益々ご活躍ください」と締めるのですが、舟宿存続のため日研は如何すれば良いのか?今回はちょっと気が重いです。
広報部懇親釣会 2月20日(土)隼人大池
       天候:晴れ 参加:12名
【成 績】
優勝 植原 亨(岩井)    8.000kg
2位 北林 輝政(築地)   7.500kg
3位 成田 和也(浮藻)   6.000kg
4位 遠藤 克己(赤坂)   5.600kg
5位 石山 隆典(個人会員) 5.400kg
6位 藤井 義一(上野)   3.200kg
7位 高橋 健二(文京)   3.000kg
8位 本澤 大喜(青空一竿) 2.600kg
9位 吉田 信之(青空一竿) 2.500kg
10位 吉本 亜土(赤坂)   2.500kg
11位 高崎 稔弘(文京)   2.300kg
12位 高橋 毅武(大森)   1.000kg
 
イベント参加費の振込口座について
 大会参加費の振込先は下記の通りとなります
(ゆうちょ銀行)
(店番)〇一八(ゼロイチハチ)
(預金種目)普通預金
(口座番号)9324889 ニホンヘラブナツリケンキュウカイ
 
 
傷害保険加入のお知らせ
 日研本部では、今年度から中央の部の本部主催の釣りイベントに当日限りの傷害保険に加入することとなりました。
 対象期間はイベント当日の午前0時から午後12時までの24時間で、ドアtoドアの釣行中の傷害のみ対象となります。
 対象者全員の氏名を後日、保険会社に届けなければならないため、早上がりをする場合は必ず検量カードに氏名を記載して、日研本部に提出してください。
死亡:50万円、入院日額:2,000円、通院日額:1,000円、手術入院時:20,000円、手術外来時:10,000円
連絡先:損害保険ジャパン日本興和株式会社 代理店 中澤 岳(090-3533-4086)
 
各支部・各地区の広報担当者へのお願い
 日研のホームページに掲載する記事の写真ですが、JPGをワード文章に貼ると、編集の
加工で画質が著しく悪くなりますので、ワード文章やエクセルシートに貼らずに、JPGの
ままメールの添付ファイルとして送付してください。よろしくお願いします。
 なお、文章はエクセルではなくワードでお願いします。(エクセルは変換が大変です。)